『ぼくの特急二十世紀』2

双葉十三郎著『ぼくの特急二十世紀』の「第一章 立川文庫と連続活劇の時代」に、

 《幼いころのぼくが映画好きになったのは、アメリカの連続活劇と日本の忍術チャンバラ映画のおかげです。(中略)そうして見たのが、アメリカの連続活劇や日本の尾上松之助、いわゆる「目玉の松ちゃん」の忍術チャンバラ映画だった。尾上松之助は日本で最初の映画スターで、目を見開き見得をきる所作から「目玉の松ちゃん」と呼ばれたんです。
 忍術チャンバラ映画は大げさにいえば特殊技術映画の元祖みたいなものです。大きなガマなどが今日の怪獣諸君も顔負けするくらいの神通力を発揮して、ぼくたち少年ファンを驚かせ、よろこばせてくれました。》 15〜16ページ

 《読んだのはだいたい『猿飛佐助』とか『霧隠才蔵』とかいった真田十勇士ものです。ネタは講談本だったんでしょう。お話は、塙(ばん)団右衛門といった英雄が歩いていると、必ず絹を裂くような女の悲鳴が聞こえてくるんです。「助けて、助けて」って。もう決まっているのね。本と平行して連続活劇を見たりしていたけど、ぼくが活劇が好きになったのも、下地はこの立川文庫にあるのかもしれない。》  23ページ 

《うちじゅう揃ってだと、だいたい芝居で、映画はあんまり見に行かなかった。それでも、一九一九(大正八)年に帝劇(帝国劇場)で「イントレランス」(’16)を封切ったときには、一緒に連れて行ってもらったような記憶がある。すごい入場料だったと思います。あるいは、おふくろは帝劇の女優劇の友達が多かったから、そういう関係でただで入れてもらったのかもしれないけど、戦車みたいな馬車が走るところだけは覚えています。ちなみに、帝劇ができたのは一九一一(明治四十四)年、日本初の洋式劇場だった。》  26ページ