「子規の音」

 月刊「波」7月号の連載「子規の音」(森まゆみ)の第十八回「神戸病院から須磨へ」を読む。
 明治二十八年の子規を描いている。
 この年は、日清戦争に記者として従軍し、帰りの船で喀血して神戸に上陸して神戸病院へ運ばれた。
 五月二十三日から七月二十三日に須磨保養院へ移るまで神戸病院にいた。

 一部引用すると、
 《八月二十日、子規は須磨保養院を出て、岡山に一泊、広島に向い、衛生兵であった弟子の五百木飄亭の下宿を訪ねた。(中略)
 八月二十四日、宇品を発し、対岸の松山に帰郷した。》 87ページ

 《十月十九日に三津浜を出航した子規は広島の宇品につき、須磨保養院を経て大阪から奈良に回った。》  88ページ

 松山での子規は、《叔父の大原恒徳の家に入る。そして松山中学の教師として赴任していた親友夏目漱石の下宿、愚陀仏庵に入り、漱石が二階、子規が一階に住んだ。》