佐藤忠男著『映画で日本を考える』を読む2

 佐藤忠男著『映画で日本を考える』で、一九一〇年代のアメリカ映画が、日本映画と日本の大衆文化に与えた影響をめぐる考察をしている。
 長谷川伸の「沓掛時次郎」、いわゆる股旅ものが昭和の初めにブームを起こしたが、物語のパターンとしてはウイリアム・S・ハートの一連の西部劇をそっくり下敷きにしていると考えていいのではないか、と述べている。(「フィルムセンターの古い映画が語りかける」において)

 《じつはその女性崇拝も、中世の西ヨーロッパの騎士道物語の貴婦人崇拝をふまえたものである。こうして日本映画の股旅ものは、一九一〇年代のハリウッドの西部劇を経由して遠くヨーロッパ中世の騎士道物語に通じているのである。》  120ページ

 そんなことがなぜ重要なのかといえば、日本の大衆文化の近代化の重要な飛躍点になっているからだという。ウイリアム・S・ハートの西部劇を通じて日本に入ってきたことは思想史的に重大なのであるというのだ。

 「日本のアニメーションの初期の実験性」では、佐藤さんは、政岡憲三の「くもとちゅうりっぷ」(一九四三)をそれまでの日本のアニメーションとしては技術的・芸術的に最高の傑作であった、と述べている。
 軍から注文のあったアニメーションで、横山隆一「フクちゃんの潜水艦」(一九四四)について佐藤さんが書いている。

 

「フクちゃんの潜水艦」を作った横山隆一はおよそ戦争などという殺伐なこととは無関係な、平和な新聞連載の家庭マンガ「フクちゃん」で人気のあった漫画家で、こういう戦争ものを作っても、戦闘の勇壮さといった側面には殆ど興味を示していない。この作品を封切当時小学生として見た私の記憶では、潜水艦が水中から海面に上がってくるときの水の排除のされ方とか、上から見下した水面の波の模様といったものが印象に深く残っていたが、今回見直してみてもやはりそうだった。  「日本のアニメーションの初期の実験性」232〜233ページ

映画で日本を考える

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