佐藤忠男著『喜劇映画論』

 新刊で佐藤忠男著『喜劇映画論』を読む。
 サブタイトルが「チャップリンから北野武まで」である。

 「はじめに」より一部引用。

 《人間は笑わずに生きることはたぶんあり得ない。なにをどう笑うかこそが、社会のありようをきめるものであり、人生の幸不幸を左右するものでさえもあるかもしれない。》  4ページ


 はじめに
 第一章 日本の喜劇
 第二章 日本映画の作品群
 第三章 世界の喜劇
 あとがき


 第一章の「喜劇女優たち」に、三好栄子、高橋とよ、飯田蝶子ミヤコ蝶々清川虹子、大山デブ子、高峰秀子、伊達里子、笠置シヅ子轟夕起子越路吹雪淡島千景市原悦子北林谷栄らを論じている。
 
 小津安二郎監督特集で観た「淑女と髯」(1931年、松竹蒲田、74分、白黒、無声)、「朗らかに歩め」(1930年、松竹蒲田、96分、白黒、無声)に伊達里子が出演していて、そのモダンガールぶりが印象的だった。

 伊達里子については、佐藤忠男さんによると、

 
 《ところで、最初の本格的カラー映画として「カルメン故郷に帰る」を作ったのは松竹大船撮影所であったが、その二十年前にやはり最初の本格的トーキー映画「マダムと女房」(一九三一)を作ったのも同じ松竹の蒲田撮影所だった。そして、そこでもやはり、伝統的な良識派からは少々ひんしゅくを買いながら、家庭でジャズの演奏とダンスをエンジョイしている一家の女主人を演じていたのは伊達里子である。自由主義教育を旗印としてかかげた神田の文化学院中学部で学び、その同期にはやがて演劇と映画でスターになる入江たか子と夏川静江がいたというから、当時の文化的気運の先端的な環境にいたことになる。彼女は松竹蒲田撮影所に入って"脚線美"を売りものにして女優になる。脚線美というのは当時としてはけっこう先端的なエロということである。小津安二郎や斉藤寅次郎の喜劇で重宝された。アメリカナイズされたモガ(モダン・ガール)の典型とみなされ、知的で解放的でモダンな笑いを演じた。  
 この伊達里子的な存在を、戦前のモダニズムのおっとりした環境から、敗戦後の疾風怒濤の時代に持ってくると笠置シズ子になるのかもしれない。タイプはまるで違うが、風俗的な解放感の先頭の旗振り的な役割においてそうである。》  131〜132ページ

喜劇映画論 チャップリンから北野武まで

喜劇映画論 チャップリンから北野武まで