『夢声戦中日記』から2

 中公文庫版の徳川夢声著『夢声戦中日記』の昭和十七年五月四日の日記を話題にしています。
 徳川夢声は、この日東京駅から九州へ鉄道で巡業の旅に出発します。
 巡業に一緒に行く仲間が、「丸山章治、中村メイコ、チエコ、清水ミサ子」(日記より)です。
 チエコとあるのはメイコさんの母御さんですね。
 この日、夢声は中央線、山手線、東海道線に乗車している一日中、百句近くも俳句を作っていた。
 それはさて置き、夢声一座の巡業に参加しているチエコさんとメイコさんが何か夢声について書き残しているのではないかと、ふと思いついたのだった。

 五月の巡業の旅については、中村メイコ著『メイコめい伝』の「巡業の旅で人生を教えて下さった"心の師"夢声先生」に、次のような箇所がありました。

 

 そんな旅に明け暮れている日々の中で、私は、八歳の誕生日を迎えた日のことを、いまでも鮮明に思い出します。
 昭和十七年五月十三日。私は下関にいました。
 誕生日――。
 貴族趣味だった父のおかげで、どんな貧しい暮らしをしていても誕生日だけは盛大なパーティーで祝ってもらう習わしになっていました。満一歳のバースデーのときから、灰田勝彦率いるモアナ・グリーンなどという、当時鳴らしていた楽団が家にやってきて、赤ん坊の傍で生演奏したほど。ですから、下関の、閑散とした、そう、ちょうど連絡船を待つホームにいたのですが、そんな淋しいところで誕生日を迎えなければならないことが、子供心にひどくわびしく思われたのでした。
「メイコちゃん、どうした。きょうはいやに機嫌が悪いなあ」
「だって、きょうは誕生日なんだもん。いつもだったらおウチでパーティーしてもらえるのに。こんなところで、やだなあ」
 そういうと、夢声先生は。
「そうか。メイコちゃん。きょうはお誕生日か。じゃあ、連絡船がくるまでまだちょっと時間があるから、街に出よう。街に出て、キミになにかプレゼントを買ってあげよう」
 そうおっしゃって、ムンズと私の腕をつかむと、街へ。  272〜273ページ

メイコめい伝

メイコめい伝