『「思想の科学」私史』のこと

 新刊の『「思想の科学」私史』(編集グループSURE)を読む。
 鶴見俊輔インタビューがあり、聞き手が黒川創さん。
 雑誌「思想の科学」は、編集部が戦後の出発から転々と発行所の場所を変えながら発行された。
 鶴見さんが、当時の編集に関わった人たちの回想やエピソードを語っている。
 「思想の科学」の編集に参加していた時期の多田道太郎についての話があり、ああそうだったのかと了解された。
 多田道太郎著『自分学』のある一節に、多田さんが「思想の科学」の編集に関わっていたという記述があり記憶に残っていたからです。
 

 わたしは、昭和二十八年ごろ、東京の泉岳寺にかよっていた。その近くに、当時、『思想の科学』の編集室があって、わたしは編集の手伝いをしていた。附近は静かなものでした。ところが、そのあとですTV放送がはじまり、「赤穂浪士」が流行して、観光客が大勢、泉岳寺につめかけてきた。そのため、東京の人まで、休日というと泉岳寺に行くようになった。急に時代が変わったのです。  90ページ

 参照:http://www.groupsure.net/post_item.php?type=books&page=20151101ShisoKagaku