顔打つて新樹の風のくだけ散る


 1日は、雑節の八十八夜である。
 立春から数えて八十八日目。
 先日、道端のクローバーに蜂が飛んでいた。
 おやおや、花が一面に敷き詰められたように咲いている。
 白い花から花へと、蜜蜂は飛び回るのだった。
 人が近づいても刺すようなことはなかった。


 「這ひ渡る蟻に躑躅は花ばかり
 「顔打つて新樹の風のくだけ散る
 
 中村汀女の俳句で、昭和十四年(1939年)の句である。


 村松友次著『謎の旅人 曽良』を読む。
 村松氏が、「この本は曽良とは何者か、を読者諸賢と一緒に考えるために書く。」と冒頭に書いている。
 前半は『おくのほそ道』の真相をめぐって、芭蕉の書簡から推理しているのだが、大変に興味深かった。

 《端的に私の推察を言えば、次の通りである。まず日光の養源院への書状を急いで届けなくてはならない。(内容は対仙台藩対策であろう。)それで千住にとどまっていた二人に俄に出発の要請があって二人は出発した。三月二十七日のことである。まっすぐ日光へ向かい、(元禄二年三月は小の月で二十九日まで)四月一日に日光へ着き、養源院へ書状を届けた。二日には日光を立ち、途中一泊して黒羽(最初の一泊は余瀬)へ着いた。そして十三日間滞在するのであるが、これは私は前章の末にも述べたが、伊達領内へ入る時期の調節のためと考える。》 「豊富な旅費」 47ページ


 目次

 一 曽良とは何者か
 二 なぜ日光へ
 三 豊富な旅費
 四 「一定の御住所」 元禄三年の曽良
 五 近畿全域を踏破 元禄四年の曽良
 六 芭蕉の葬儀にも行けず その頃も公務に
 七 幕府巡見使の用人として 九州行き
 八 洞窟に消えた仙人は誰か

 
 「二 なぜ日光へ」の「日光工事と伊達藩」の項を読むと、曽良芭蕉の旅が何であったかが分かり面白い。『おくのほそ道』についての見方が、すっかり変わってしまった。

謎の旅人 曽良

謎の旅人 曽良