『瀬川昌久自選著作集1954〜2014』を読む

 『瀬川昌久自選著作集1954〜2014』を読む。
 副題が、「チャーリー・パーカーとビッグ・バンドと私」とある。

 先日の「月丘夢路特集」で、井上梅次(うめつぐ)監督の映画『夜の牙』(1958年、日活、102分、カラー)を観たのだが、主人公の医師・杉浦を演じる石原裕次郎が、奥伊豆にある杉浦家の墓を訪ねて行く。
 そのお寺の住職を森川信が演じていたのだった。
 森川信については、坂口安吾の「青春論」を読んで以来、記憶に残る俳優だった。

 『瀬川昌久自選著作集1954〜2014』の「〔コラム〕ジャズと映画 戦後の日本映画 ジャズで踊って」(二〇一三年七月 『ジャズ批評』掲載)」に、森川信について書かれている。興味深い箇所があった。

 一部引用してみると、

 戦争が昭和二十(一九四五)年八月に終わると、十一月に日本劇場が再開して、ジャズやレヴューを上演し、ジャズ風の流行歌が盛んに歌われた。松竹が昭和二十年十二月三十一日に封切上映した『グランド・ショウ 一九四六』は、戦後最も早い時期の音楽芸能を実写した貴重な記録となった。脚本青山圭男、演出マキノ正博、音楽は浅井拳嘩、田代与志万城目正、北村秀俊ら。出演は高峰三枝子、三浦光子、森川信、水の江滝子(ターキー)、松竹歌劇団(SKD)らで、劇場を舞台にしたショウが次々と展開される。(中略)圧巻は水の江(ターキー)がアラビア風の女装姿で、ターバン帽子の多数の男性ダンサーを従えてそのまわりを体をくるくる回転しながら颯爽と踊る場で、柔軟な体の屈折など女性ダンサーとしての高度な技術を難なく見せるのに感心する。彼女は戦中、森川信と劇団たんぽぽを結成して活動を続けていた名残りであろう。  421〜422ページ