「図書」6月号から

 「図書」6月号の川崎賢子田村泰次郎と彼女」が興味深かった。

 なにより田村の回想で興味深いのは、北京の彼女の家で「軍用電話を借り」ることができた、彼女が「軍用電話を借り」て、「山西省の陽泉」の彼のもとに長距離電話をかけたという証言である。彼女か、あるいは彼女の父・山口文雄は北京で「軍用電話」を使うことを許されていたのである。「軍用電話」メディアにアクセスできたとは、日中戦争下の通信事情を考えるなら、特別待遇というべきだろう。  35ページ

 北京での李香蘭といえば、瀬戸内晴美著『田村俊子』を思い出します。
 『田村俊子』を読むと、昭和十八年の秋、瀬戸内さんは結婚し、北京へ渡っていた。
 瀬戸内さんの新居は、北京の王府井(わんふうちん)から横に入った三条胡同(さんてあほうとん)の入口に近い紅楼飯店(ほんろうふあんてん)の一室だった。

 

(前略)よく夫の友人たちのたまり場になっていた。ふささんのその話より、つい二、三日前、夫から、やはり私たちのその部屋に、嘘か本当か李香蘭が遊びに来たことがあるなど、聞かされて、ど肝をぬかれた矢先であったため、私は別段、佐藤俊子=田村俊子が、かつて私どもの部屋に立寄ったと聞いても驚かなかった。  『田村俊子』8ページ

田村俊子―この女の一生 (角川文庫 緑 265-1)

田村俊子―この女の一生 (角川文庫 緑 265-1)