対談「星条旗と青春」を読む4

 小林信彦片岡義男の対談「星条旗と青春」を読む。
 小林泰彦のイラストルポ、植草甚一のニューヨーク行き、「全地球カタログ」についての三つを対談で語っている。その箇所を一部引用すると、

小林 「平凡パンチ」で、ぼくの弟が<イラストルポ>というのを始めて、あの言葉は、あそこの編集者とぼくの弟がつくったわけです。たしか一九六七年にサンフランシスコへ行って、ヘイト・アシュベリーとか何とか細かくかいてね。そういうのをやってましたからね。「若者の街」とかいう本にたしか入ってるんだけど。それで、ぼくの弟が一番最初に、観光化する前のヒッピームーブメントの中に飛び込んで、帰ってきてものすごい興奮して話してましたからね。
 片岡 現場へ行けば興奮しますよ、だれでも。びっくりします。
 小林 そのとき帰ってきて、エレクトリック・サーカスとかいろいろなものを初めて聞いたんですよね、こういうものがある、こういうものがあるというんで。それで、例の「全地球カタログ」を買ってきて、こういうものがあるというんで、それがぼくは何だろうという感じがしましたからね、当時。
 それまでのアメリカ紹介というのは、植草さんみたいに、向こうの新聞や雑誌を見て、それで、こういうものがありますよということだからね。植草さんは七四年までアメリカへ行ったことないわけだから。だから雑誌に載ったものを紹介していたでしょう。植草さんに限らず、皆さん、そうですよね。わりに音楽の人が早くて、ポップス関係の人がわりに早くから、六〇年ごろからアメリカへ行ってましたよね。で、じかにアメリカへ行って、日本人の目で見て、調べてきて、こっちに来て日本語で書くというのが「平凡パンチ」から始まったんだな。  140〜141ページ

 対談によると、植草甚一がニューヨークへ初めて行ったのが、1974年である。「全地球カタログ」を小林泰彦が買ってきたのが、1967年である。イラストルポという言葉は「平凡パンチ」の編集者とぼくの弟(小林泰彦)でつくった、と小林信彦片岡義男との対談で述べている。