「わたしの五十三次 考現学的考察」のこと

 6日は、二十四節気のひとつ啓蟄(けいちつ)であった 雨水(うすい)を過ぎて日が長くなったが、まだ寒気は衰えない寒い日がつづく。
 遅咲きの八重の山茶花を見つけた。紅色をした花が印象的だ。

 春秋社の「春秋」2・3月号で、池内紀の「わたしの五十三次 考現学的考察」を読む。
 『東海道中膝栗毛』の挿絵(さしえ)を読み解く池内紀の考察が面白い。

 1月号は、「庄野・雨」で、雨降りの庄野の広重の絵を読み解いている。
 社会の映し絵として広重の絵を眺めている筆者が、気づいたことを書いている。
 当時の仕事のユニフォームについて、
 《それはそれとして、これを社会の映し絵としてながめたとき、奇妙なことに気がつく。雨降りのシーンでよくわかるが、上半身はそれなりにつつんでいても、下は恐ろしく無防備である。尻まる出しは、雨のせいではなく、ほぼ常時そうだったことは、日本橋のボテ振りからも見てとれる。戸塚宿の馬方も同じ。平塚でもどり駕籠とすれちがう飛脚は上半身も裸で、わずかにふんどしをしめているだけ。川越人足はもとより裸で、鉢巻と腰のもののみ。川に入るときだけでなく、人足小屋にいるときも、それが川越エリートのユニフォームだった。》 1月号、31ページ
 参照:「春秋」http://www.shunjusha.co.jp/magazine/566/