2005-11-01から1ヶ月間の記事一覧

真面目に驚け!

夏のあいだ訪れていた公園の池に寄り道してみた。ハスの葉は枯れ果てていた。カエルはどこにも姿は見えず、鳴き声もなかった。カエルたちはどこへ消えたのだろうか。池のそばに生えているイチョウの樹から散った黄色い葉が、水面に舞い降りている。池のまわ…

横井也有の『鶉衣』

昼間は北からの風が強く、夕方にはやや弱くなっていた。日が暮れると南西から少し南寄りに金星が光っている。明るい。東の空には高度六〇度くらいの高さに火星が光っていた。 笹川巌の『趣味人の日曜日』(講談社現代新書)を読む。「随筆こそ大人の読書術」…

趣味人の日曜日

晴天で公園の桜の葉が紅葉していて、半分ほどは散っていた。立冬を過ぎても暖かいのだが、やっと街路樹の百日紅(さるすべり)の葉が黄に紅葉していた。イチョウの黄色い葉は半分ほどが落葉している。 夕方、南西の空に明るい宵の明星の金星が見える。澄みき…

もちは餅屋

午前のうちに大工さんにフロアー材と壁の境に5センチ幅の板を付けもらい完成。残りの板で棚を造り付けてもらった。棚の板は組みたて式で取り外しも出来る様にしてもらう。 「もちは餅屋」ということわざを実感する。 文芸春秋のPR誌である『本の話』12…

大工さんとファーブル

朝食時に大工のKさんが来られる。てきぱきと材木の加工を始める。周辺は電動工具での桧(ひのき)材からの鉋(かんな)くずの匂いがただよう。9センチ角の桧を短く輪切りにした材木を置いた上に、9センチ角の長い桧材を載せていって固定していく。その上に…

旅の発見

リヤカーをお借りして本を移動させる。黄色いブックオフの袋に本を入れて積んでいたためか、道中自転車で駆け寄ってきた見知らぬ男に、NTTの電話帳の回収員に間違われた。たぶん、黄色い袋の色が電話帳に見えたのだろう。時速2・5キロメートルの速度で移動…

梅棹忠夫の『わたしの生きがい論』

快晴、街路樹の紅葉が目に鮮やかだ。イチョウの黄色い葉はやや色があせて、葉は三分の一ほど枝から散っていた。紅葉狩りといえば、梅棹忠夫の『わたしの生きがい論』1985年(講談社文庫)で、「風流人の自制」ということをめぐって面白い考えを語ってい…

ちいさな桃源郷

午後、橋を渡っている時に白いカモメが群れて海の方へ向っていた。うーん。川の上という所は鳥の通り道なのか、よく鳥に出会う。渡り鳥のカモの群れが静かな水面に隊列を作っていたのは、きのうだった。アオサギは川の中に立っている古い通行禁止の橋の欄干…

時間の旅

正午過ぎ、川を渡っている時、川岸寄り静かな水面に水鳥がいた。五羽のカモが隊列を作って泳いでいる。冬の渡り鳥だろうか。 雑誌『旅』2004年1月号(JTB発行 最終号)を続けて読む。対談「旅學講座」の西江雅之と種村季弘の旅談議が面白い。少し引用し…

ふらふら歩く漫遊

街路樹の紅葉を楽しむ。青空の色と紅葉の赤と黄の色の対比が鮮やかだ。 雑誌『旅』2004年1月号(JTB発行 最終号)を読む。対談「旅學講座」の西江雅之と種村季弘の旅談議が興味を引く。 種村 江戸時代の地図というのは、パノラマというか俯瞰図なんです…

JTB『旅』の最終号

晴天で青空が広がっている。街路樹のイチョウの葉は、いちどに黄色になっていた。空の青とイチョウの黄が目にあざやかだ。このイチョウの周りにある街路樹の葉は、常緑の緑色の葉の樹も多いが、真っ赤に紅葉した葉の樹もある。朝が冷え込む。 雑誌『旅』20…

柴田宵曲のいた時代

正午過ぎに川を渡っている時、通行禁止になった古い橋の欄干に鳥がいた。二羽のアオサギだ。二羽は5、6メートル離れて止まっていた。背を太陽へ向けて、まるで日光浴のようだ。朝は冷え込んだ。 朝日新聞で川本三郎が「柴田宵曲のいた時代」を連載している…

ジャン=ミシェル・フォロンの訃報

11月14日の日記のリンク元に、ヤフーの検索で「ジャン=ミシェル・フォロン」という単語から、「栗カメの散歩漫歩」へアクセスがあった。(http://d.hatena.ne.jp/kurisu2/20050720)この日の日記に、ジャン=ミシェル・フォロンについて書いているのだ…

月と結城昌治の『死もまた愉し』

きのうは一羽のアオサギが頭の上のそばを悠々と飛び越えて、グライダーのように飛び去って行ったのだった。もう鳥には出会わないだろうと思っていたら、またまた橋の上で鳥がバタバタと上下につばさを動かしながらやって来た。正面から、近づいて来る一羽の…

ユーモア感覚と時間旅行

正午過ぎ、川を渡っているときに大きなアオサギが頭の上を通り過ぎて行った。低空飛行でグライダーのようにつばさを広げたままの姿勢で、わたしの頭のすぐ上を横切る。そのまま、飛行機が飛行場へ着陸するように一五〇メートルほど滑空して行った。着陸した…

『旅』のゆくえ

先日、朝日で新潮社の雑誌『旅』が紙面の一面を全部使った広告を出していた。リニューアル第二弾、「旅」という女性誌、誕生。12月号の広告だ。やはり『ユリイカ』8月号の「特集・雑誌の黄金時代」で、「雑文家渡世」という対談の坪内祐三と四方田犬彦の…

吉田健一訳の『旅は驢馬をつれて』と小沼丹

昼間は晴れて青空だった。夕方、月が南東にあって高度四〇度くらいだった。南に地平に近い高度一〇度くらいに金星が明るく輝いている。東の空には火星が、まだまだ大きく赤くオレンジ色がかって高度三〇度ほどの位置に光っていた。まだ星ははっきり見えない…

映画『ビッグ・リボウスキ』と小説『ビッグ・サーの南軍将軍』

河出文庫でリチャード・ブローティガンの『ビッグ・サーの南軍将軍』が文庫化された。訳者の藤本和子さんの文庫化への経緯などを読んでいると、久しぶりにブローティガンを読み直してみたくなった。そうして、読んでみて気がついたのが、作品の終わりの場面…

『ビッグ・サーの南軍将軍』とコーエン兄弟

ジョエル・コーエン監督・脚本の映画『ビッグ・リボウスキ』のラストシーンが、リチャード・ブローティガンの小説『ビッグ・サーの南軍将軍』の最後の情景描写に似ている。ふと、『ビッグ・リボウスキ』を思い出していたら、そんな気がしてきた。 『ビッグ・…

『ビッグ・サーの南軍将軍』とカモメ

きのう見た白いカモメが頭の上を通り過ぎた時に、 (http://d.hatena.ne.jp/kurisu2/20051108)、あっ、あの場面に似ているな、と思ったことがある。これもリチャード・ブローティガンの『ビッグ・サーの南軍将軍』の一場面の情景なのだが。この作品の終わり…

『ビッグ・サーの南軍将軍』の文庫化をめぐって

正午すぎに川を渡っていたとき、一羽の白いカモメが頭のすぐ上を通りすぎて行った。つばさを大きく広げて滑空して来たのだった。さーっと近寄って来て、わたしの頭の上をさーっと去って行った。そのグライダーのようなカモメの後姿を振り向いて見送ると、カ…

野尻抱影のユーモア

雲ひとつない青空。快晴だ。正午過ぎに川を渡っているときアオサギを見かけた。古い通行禁止の橋の中央の欄干に止まっていた。汗ばむ気温だった。 夕方、春先の黄砂のように空が霞んでいた。南西の空に三日月、その右下に宵の明星の金星が明るく輝いている。…

『素白先生の散歩』と野尻抱影

野尻抱影の『星三百六十五夜』(中公文庫)を読んでいると、9月4日の「縁日」という文で岩本素白についてふれられている。おや、岩本素白といえば、池内紀編でみすず書房から大人の本棚シリーズで『素白先生の散歩』という本が出ている。http://bookweb.ki…

抱影先生とタルホ君

今夜は曇っていて、東の空に火星が見えなかった。 野尻抱影の『星三百六十五夜』(中公文庫)の解説を読んでいると、解説の石田五郎氏が、抱影先生からもらった手紙に、「タルホ君は昔小宅を訪れ、漢代出土の白玉の杯でビールを飲ませたところ喜んでい(旧字…

『ビッグ・サーの南軍将軍』と『さようなら、ギャングたち』

リチャード・ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』が、やっと文庫化されてよろこんでいたら、今度は河出書房新社から『ビッグ・サーの南軍将軍』が河出文庫で文庫化されるらしい。長く絶版になっていたからね。うーむ。ブローティガンの再評価、ブーム? 新…

海鵜と野尻抱影の『星三百六十五夜』

晴れ上がった青空。正午過ぎに川を渡っているとき、川面(かわも)に一羽の水鳥が浮いていた。黒っぽい色の鵜(ウ)だ。久し振りに出会う。川と言っても、このあたりは海水も混じっている川なので海鵜(ウミウ)だろう。見ていると尾羽ねを空へ揚げると、く…