BOOK PARK CLUBという新古書店(?)で頂いた、PR誌「海鳴り」38号で、
「追悼 島京子」(山田稔)
「富岡多恵子 『丘に向ってひとは並ぶ』のころ」(荒井とみよ)を読む。
筆者の荒井さんが、つぎのように書いている。
《一九七〇年代後半のわたしを惹きつけてやまなかったのはこれだ。詩とたたかっていただけではない。富岡多恵子は時代の中でたたかっていた。それはわたしのたたかいでもあったから読まずにいられなかったのである。詩人だけあって荒川は、わたしが先に「毒」といったものを「火」といっている。》47ページ
荒川というのは、詩人の荒川洋治。
『富岡多恵子集』全十巻(筑摩書房・一九九九)の月報の解説の文章のなかで注目した文章について述べている。
《中沢新一が「声こそが野を開く鍵」といっているのと多和田葉子が「富岡文学の文楽的な面」といっているのが印象的で文体論を考える時に忘れないでおきたいが、今はおく。
その月報の中で一つ選ぶとすれば、荒川洋治の「火の仲間」。》47ページ