「海鳴り」から

 BOOK  PARK  CLUBという新古書店(?)で頂いた、PR誌「海鳴り」38号で、

 「追悼 島京子」(山田稔)

 「富岡多恵子 『丘に向ってひとは並ぶ』のころ」(荒井とみよ)を読む。

 

 筆者の荒井さんが、つぎのように書いている。

 《一九七〇年代後半のわたしを惹きつけてやまなかったのはこれだ。詩とたたかっていただけではない。富岡多恵子は時代の中でたたかっていた。それはわたしのたたかいでもあったから読まずにいられなかったのである。詩人だけあって荒川は、わたしが先に「毒」といったものを「火」といっている。》47ページ

 

 荒川というのは、詩人の荒川洋治。

 『富岡多恵子集』全十巻(筑摩書房・一九九九)の月報の解説の文章のなかで注目した文章について述べている。

 《中沢新一が「声こそが野を開く鍵」といっているのと多和田葉子が「富岡文学の文楽的な面」といっているのが印象的で文体論を考える時に忘れないでおきたいが、今はおく。

 その月報の中で一つ選ぶとすれば、荒川洋治の「火の仲間」。》47ページ

『富岡多惠子集 全10巻』富岡 多恵子 | 筑摩書房 

『若冲、川を下る』の書評

 新潮社のPR誌『波』9月号で、

 「小説のようなものが兆す現在」(堀江敏幸)に注目した。

 黒川創著『若冲、川を下る』の書評である。

 一部引用すると、

  《そもそも若冲は、作者と等身大の語り手が小説家となるにあたっての、重要な礎石だった。一九九七年に発表した「鵜の目」、九八年の「猫の目」を「双幅」に見立てた「若冲の目」が刊行されたのは、翌九九年。前者には、京都の蒐集家を訪ねて《乗興舟》を見せてもらい、技法について論じあう場面が描かれていた。印象的なその挿話が、本書では関係者の名を明かしたうえで再話されている。》22ページ

 

《時間と人の舟を動かしているのは、もちろん川だ。》23ページ

若冲、川を下る / 黒川 創【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア

PR誌から

 吉川弘文館のPR誌「本郷」7月号で、

 「明治生まれの女性たち」(田中優子)

 「〈文化財〉取材日記 西瀬戸内海の戦争遺跡⑥軍機の島 広島の救援へ」(佐田尾信作)に注目しました。

 「明治生まれの女性たち」は、明治時代に生まれてシングルマザーとして生きた筆者の祖母について語られている。

 明治の女性たちの幸福のありようを描いている。

 《祖母が生まれる前年、東京で平塚(ひらつか)らいてうが生まれていた。まだ祖母が栃木にいた時に『青踏』(せいとう)が創刊され、祖母はそれを読んでいる。祖母が横浜に脱出したのは、それもあったようだ。当時、多くの女性が『青踏』を知って東京に出奔(しゅっぽん)し、あるいは青鞜社に手紙をよこしたという。「すごろくの上がり」は奥様でもシンデレラでもないことを知った女性たちが数多くいたということだ。》

 〈文化財〉取材日記は、広島湾の離島、金輪島(かなわじま)への訪問記。

 一部引用すると、

 《金輪島の近代をたどってみる。一八九四(明治二七)年に日清戦争が始まると、陸軍運輸部直轄の造船工場が開設され、部外者は立ち入り禁止になる。太平洋戦争開戦後の四二(昭和一七)年には野戦船舶本廠に組み込まれて戦時色を増す。平地の乏しい島は海岸に沿って山が迫り、山裾の岩肌には無数の横穴式防空壕が掘られていた。》

 野戦船舶本廠が中国新聞社(当時、広島市上流川町=中区胡町)に壁新聞のための紙を持ち込んだという逸話も残る、という。

 また、終戦の「知事告諭」などもこの紙が提供された、という。

 土橋町あたりの問屋街に、野戦船舶本廠の部隊の糧食を賄うために探索に出かけ、焦土の下からミカン缶詰や紙問屋の地下壕にわら半紙などが焼けずに残っていた。

 参考文献の一つに、御田重宝著『もう一つのヒロシマ』(中国新聞社)がありました。

映画『有りがたうさん』

 先月の「清水宏監督 没後60年」特集の一本

 

 映画『有りがたうさん』1936(昭和11)年、松竹大船、白黒、35ミリを鑑賞。

 出演が、上原謙、桑野通子、築地まゆみ、二葉かほる、石山隆嗣。

 《伊豆の山道をゆく乗合バスでの群像劇をユーモラスに描いたロードムービー。身売りされようとする娘、旅役者や朝鮮人労働者といった人々の存在も、やさしい光の中に照らし出す。》(パンフレットより)

 乗合バスの運転手(上原謙)は、道を行く人々を追い越すときに「ありがとう」と運転席から声をかけることから、沿線の土地の人から、ありがとうさん、と呼ばれて親しまれている。

 乗客に、東京へ身売りされる娘(築地まゆみ)とその母親(二葉かほる)、黒襟の女(桑野通子)が、ありがとうさんに絡む。

 髭の紳士(石山隆嗣)と黒襟の女のやりとりが痛快でユーモラスだった。

 桑野通子の演技に注目。

 美しい山並みと街道を走るバスの移動撮影が素晴らしい。

 街道を歩く朝鮮人の娘を見つけて乗って行きなさいと声をかけての会話が印象的なショットだった。道路工事の朝鮮人の工夫の一団をロングショットで撮ったシーンが当時の世相を語る。

 

映画『恋も忘れて』

 先月の「清水宏監督 没後60年」特集の一本。

 

 映画『恋も忘れて』1937(昭和12)年、松竹大船を鑑賞。

 出演が、桑野通子、佐野周二、爆弾小僧、突貫小僧、岡村文子。

 

 《横浜の本牧、夜の社交場で働くシングル・マザーと一人息子のドラマ。母は子の成長を生きがいにしていたが、小学校で息子は孤立してしまう・・・。》(パンフレットより)

 ラストの場面で、横たわる春坊にダンスホールの用心棒(佐野周二)が、シングル・マザーの母親(桑野通子)を前に、「おれは今日、カムチャッカの漁場に三年半の働くことにしてきたんだ。」

 「春坊おれはやっぱり行ってくるよ。さあて、2、3年のお別れだ。」

 「おれは足を洗うよ。」

 

 

『独特老人』から

 後藤繁雄編著『独特老人』を読んでいる。

 何度か読んでいたのだが、気になる箇所を偶然見つけた。

 

 森敦へのインタビューで、

 

 《ずっと若い時、僕は奈良に流れていたんですね。十年くらいいました。その家はとてもいい家でしたから、借りっぱなしにして、そこを本拠地にして、カムチャッカや大陸や南極に行ったり。伊東の鰹船にわたりをつけて行くんです。給料もらってないわけです。漁師仲間の間では、下手な漁師だなくらいのことだったんですけど、給料もらわずにぼーっとしとるわけでしょ。それで船主は僕のために焼酎を差し入れてくれたりね。カムチャッカ行くのに一カ月近くかかるから、みんな博打を打つんです。

 蟹を獲るし、鮭も獲ります。函館を出て、小樽にまわり、稚内に寄って、いろんなものを仕こんで行くんですが、その間、何にもすることはない。それにのっているのは、全部農夫です。漁師である必要は一つもない。力の強い人がウィンチ巻けばそれでいいんですから、そして、その場で缶詰作らないかんのです。冷凍の設備がよくないから、どんどん缶詰をつくる。蟹工船です。〉18~19ページ

 

 杉浦明平へのインタビューで、堀田善衛の『定家明月記私抄』という本をめぐって杉浦明平が語っている。

 《堀田は面白いですよね。やっぱり外国に行って日本を見てたからじゃないかな。ますますよく見えるようになる。今の日本なんかあほらしいから。面白いですよね。あれだけモノが見えるようになるとは思わなかったな。あれはいつだったかなあ。僕はカムチャッカのオホーツク海の、最後の鮭を捕る船に乗って行ったんですよ。それで東京に帰ってきたらね、今もあるかな、半蔵門の前に小さな旅館があったんですよ。きれいなおかみさんがやってる。中央公論の特約だった。そこでね、彼と出会ったけど、それ以来会ってないな。》 215ページ

独特老人 / 後藤 繁雄【編著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア

〈雑に歩く〉を読む

 筑摩書房のPR誌「ちくま」8月号を手に取ってみました。

 〈構想力の民俗学〉(中沢新一)というタイトルで、新連載がはじまっていました。

 第一回は、 「農」とは何であったか、というタイトル。 

 

 連載〈雑に歩く〉(椹木野衣)は、今回のタイトルは、「三割くらい事実と違う」。

 記憶喪失というのを体験した筆者がその経緯を語っていて興味深い。

 

 国書刊行会の広告に、クラスナホルカイ・ラースロー著『サタンタンゴ』早稲田みか訳が掲載されている。

 朝のNHKのラジオ番組の「マイあさ」で、「著者からの手紙」の出演が早稲田みかさんだった。

 ハンガリー生まれの小説家の作品でタル・ベーラ監督が映画化している。

ちくま 2026年8月号(No.665) / 筑摩書房【編】 <電子版> - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア