汽車旅放浪記から

 五月に公開された映画『銀河鉄道の父』を観た。監督は成島出。門井慶喜の小説『銀河鉄道の父』が原作の映画化作品である。

 父を役所広司、賢治を菅田将暉、賢治の妹トシを森七菜、母を坂井真紀、弟の清六を豊田裕大、そして祖父を田中泯が演じている。

 冒頭の賢治とトシの二人のシーンは、「永訣の朝」を思い出させる。ラストの鉄道のシーンは「銀河鉄道の夜」を思わせるのだった。

 関川夏央著『汽車旅放浪記』の「オホーツク発、銀河行」を読む。

 一九二三(大正十二)年、岩手県立花巻農学校教諭となって二年目の夏休みを利用しての樺太旅行を筆者は追体験している。 

 賢治の樺太行きの表向きの目的は、盛岡高等農林学校を卒業後、王子製紙に入社した学友の細越健を訪ねることだったが、一部引用すると、

《賢治の樺太行きの真の目的は、とし子の鎮魂であった。また、とし子との「再会」であった。鉄路の尽きる海岸、その北の空の「あの青いところのはて」にとし子はいるはずだと賢治は考えた。彼は当初から栄浜を目的地と決めていた。》125ページ

 「銀河鉄道の夜」については、

 《賢治が「冬と銀河ステーション」「『ベーリング鉄道』序詞」「銀河鉄道の一月」を同人誌「銅鑼(どら)」と「盛岡中学校校友会雑誌」に発表したのは樺太旅行の四年後、一九ニ七年のことである。童話『銀河鉄道の夜』に至っては、一九三三年、三十七歳で彼が死んだのちに「発見」されたのである。

 しかし『銀河鉄道の夜』はこの樺太行きで発想されたのであり、「銀河鉄道」の始発駅は、樺太東海岸の当時の終点栄浜駅、またそのオホーツクの岸辺であると私は思う。

 賢治はそこからオホーツク発の列車に乗って、永遠につづくかと思われる「支手のあるいちれつの柱」を見はるかし、「さびしい停車場」のひとつひとつで停まりつつ、無窮の清潔な闇(やみ)を駆けて死者と再会したのだ。そう私は信じる。》130~131ページ