奥野良之助の『金沢城のヒキガエル』とカツオ

睡蓮の葉

 先日、公園の池へ寄り道して、ハスの葉や睡蓮の花を眺めた。池へ近づくと何やら牛が鳴いているような声が聞こえて来る。水面のあちこちで、盛んに鳴いているカエルなのだった。池の周りを歩きながら観察した。すると、水に張り付いた睡蓮の葉の上に、小さなカエルがちょこんといた。コンクリートの縁や水中に潜っているのもいる。水中にいるカエルは、そのポーズが平泳ぎのポーズをして力を抜いて、水面に浮いていた。カエル泳ぎかな。今が繁殖の時期のようだ。その繁殖の一瞬を見ることも出来る。ふーむ。ずいぶんシンプルなものだなあ。
 鳴き声がうるさいほどのボリュームだったのが、ふと、一転して静かになるときがある。急に池に静寂が訪れる。なんだか、カエルたちが、お互いに耳を澄ませているかのようだ。
 今朝の朝日の朝刊に、金沢城ヒキガエルを一五〇〇匹、九年間観察した奥野良之助さんへの聞き書きを、織井優佳さんが書いている。タイトルは、「競争せずのんびり の魅力」。さっそく、読んでみた。「ひねくれ者」を自認する奥野さんから聞き書きして、

 雨が降る暖かい春の夜という絶好の条件でも、えさとりに出てこないことが多い。働きづめの人間とは大違いで、腹がすくまではのらくら寝て暮らす優雅な生活。子孫を残す大切な繁殖でも、雄はただじっと座り込んで雌が通りかかるのを待つのみ。雌と出あえずにむなしく春が過ぎていくのに待つ場所を変えてみるでもなく、ましてほかの雄と争うわけでもない。
 「人間は自分が競争ばかりしているものだから、そういう目で自然を見て『けんか』しか目に入らない。けんかもせず、縄張りも作らない生きものは研究対象から外れてしまう。実際には、競争に巻き込まれずのんびり生き延びている生きものは、たくさんいるはずです。」
 ヒキガエルを語っているようで、奥野さんの話は人間社会への問いかけに満ちている。そして話題は突然、魚に飛んだ。「カツオってね、魚のくせに触ると温かいぐらい代謝が活発。酸素が必要なので、常に猛スピードで口開けて泳いでエラに海水を送り込まないと死んでしまう。一心不乱に出世街道を突っ走るのがカツオなら、じっと座り込んでるヒキガエルは窓際族かな」。「ふぉっふぉっふぉっ」と笑う奥野さん自身はせっかちで「ヒキガエル的」ではないというが、「カツオ」でないのは間違いない。 

 奥野良之助の『金沢城ヒキガエル*1は、どうぶつ社から一九九五年に出たもので、絶版になっていた。長らく絶版だったので、今回(一月)の平凡社から復刊されたことは喜ばしい。
奥野さんは、自然界では競争に満ちているという考えが主流だったが、そんな風潮に反発する。けんかせず、縄張りを作らず、争わない生きものを探して、七二年の春から金沢城本丸跡でヒキガエルを調べると、彼らがその探し求める相手だったという。奥野さんは魚からヒキガエルに研究対象を切り替える。その成果が、この本である。
 ヒキガエルかカツオか? この問題は、とても興味深いものがある。