『旅』と雑誌の黄金時代

ユリイカ』2005年8月号は特集・雑誌の黄金時代。
 「雑文家渡世」というタイトルで、四方田犬彦坪内祐三が対談している。

 坪内 『朝日ジャーナル』は、『展望』や『思想の科学』とは逆に、決して一代の雑誌じゃなかったのを、無理矢理中絶させてしまった。そういう長い伝統を築いてきた雑誌は、「じゃあ、復刊しよう」と言ってもできないんですよね。長くやっている雑誌はそれだけ「ユルい」とも言えるんですが、その雑誌の器のカラーが出来上がっているから。
 わかりやすい例だと、『旅』(1924ー)という雑誌の版元が、JTBから新潮社に移ったでしょう。JTBのときの『旅』は、十年一日のごとく時代からとり残されてたんですが(笑)、これが結構いい味を出していた。それが新潮社に移って、いっぺんに「いまどき」の内容になったんだけれども、どこも読むところがなくなってしまった。でも、もう元の『旅』には戻せないですよね。小島功のマンガ(「女中さん美人ネ」)のようなテイストの『旅』は帰りません。
 四方田 ああ、本当にそうですね。そういう意味で貴重なのは『婦人公論』(1916年ー)中央公論新社なんて全然ダメになってしまっているのに、「女の牙城」を守り抜いてる(笑)。女性陣が人事権まで掌握してるから、新社になっても崩れない。そこは立派ですよ。  40頁

 坪内祐三が言うように、新潮社に移る前の『旅』は読むところがあった。
 JTBの『旅』が廃刊になるのは、2004年1月号。
 最後の年にあたる2003年の『旅』を見ていくと、9月号では西江雅之池内紀の対談がある。お二人の話がなかなか面白い。さらりとしているが、後味のいい対談。
 12月号は西江雅之角田光代の対談がある。私は、角田光代アイルランド紀行が気に入っているので、注目して読んだ。西江雅之の旅についての考え、これは興味を引く。
 最終号の2004年1月号には、西江雅之種村季弘。『旅』という雑誌がシブイというのは、こういう対談を読ませてくれるからかな。思わぬ拾い物の宝が転がっている雑誌だった。
 田中小実昌宮脇俊三も『旅』の常連執筆者だったね。