文芸漫談から

 『すばる』3月号の奥泉光いとうせいこうの「文芸漫談」、大江健三郎の初期の長篇の『芽むしり仔撃ち』をめぐる作品評の対談(漫談)である。
 『すばる』の「文芸漫談」のタイトルは「大江健三郎の『芽むしり仔撃ち』。

 

奥泉 まして今回は大江さんです。僕らの大好きな作家。いとうさんも影響を受けていますよね。でも、忖度はナシで行きましょう。
いとう はい。ではなぜ『芽むしり仔撃ち』であるか、から。
奥泉 お気づきでしょうけど、前回のカミュ『ペスト』に引き続き、閉鎖状況に追い込まれるタイプの小説だからですね。
いとう このコロナ禍がなければ取り上げなかったかもしれず、大江さんから一冊選ぶとして、平時だとこれではなかったかも。  167ページ

 

 

 

いとう すごくいいラストシーンです。「僕」の弟って、とにかくかわいい子で。ほとんど「萌え」。僕は大江さんの全集が刊行されたとき、「弟について」という文を書きました。『芽むしり』の、かわいい弟という存在とは何だったのか。たとえば『万延元年』にも密三郎と鷹四という兄弟が出てきます。鷹四は『芽むしり』の弟のようにはかわいくなくて、すごく反抗的な人間ですが、この場合、弟が大江さんだよね。中期以降、弟役は大江さんなんです。義理の兄にあたる伊丹十三監督が「兄」で。
奥泉 なるほど、なるほど。

いとう みんなにとってはかわいいかもしれないが、本人が描く自分=弟はどんどんグロテスクになっていく。弟の描きかたの変遷から大江文学を語るという批評は、可能だと思います。その点でも、『芽むしり』の弟が生死不明で物語から姿を消したこと、主人公の「僕」も森へと消えたことは、いろんな意味を深読みさせますね。  171ページ

 

 

 義兄の伊丹十三監督が「兄」であるといういとうせいこうの見立てが興味深かった 。