内藤誠著『昭和映画史ノート』に、昭和十年(1935年)に大都映画に入社した俳優の水島道太郎へのインタビューで、吉村操監督の映画『地平線』(1939年)の撮影が大変だった事情が語られている。 原作・監修が大宅壮一で、満蒙国境の大平原で二週間の…
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