コオロギと雑誌の黄金時代

 曇り時々雨の一日。夜になってリーリーリーと鳴く虫の声がする。
 コオロギだ。リーリーリーを聴いていると、突然鳴き声が止む。静かになる。
 しばらくしてリーリーリーと鳴きはじめた。
 コオロギの声に秋の訪れを感じる。


 『ユリイカ』2005年8月号は、「特集・雑誌の黄金時代」。
 四方田犬彦坪内祐三の対談、「雑文家渡世」を読む。
 「編集力」について、

 坪内 映画雑誌が元気だったころは、自分はアメリカ映画が好きだ、と思っていても、雑誌を手に取るうちにアメリカ映画以外の、いろんな映画に興味を持ち始めたりしましたよね。いまは「香港映画が好きだから香港映画専門誌を買う」となって、それで完結してしまう。
 四方田 昔は映画館も、雑誌的に機能していたでしょう。どんな映画をかけるかが、館主の腕の見せ所だった。書き手のキャスティングで、雑誌編集者の腕が分かるみたいに。
 坪内 インターネットの台頭にせよ、雑誌の衰退にせよ、「編集力」が弱くなっている、ということを感じますね。自分の会社を代表する雑誌すら読んでいない編集者がいるんですよ。大手出版社で編集職に就いて、たまたまその週刊誌のセクションに割り振られただけだから、自分の会社の他の雑誌に愛着なんてなかったりする。  42頁

 その後、「サブカルチャーの認識もズレてきてる」と言う坪内祐三の話。それを四方田犬彦と二人で話題にしているあたりが興味を引く。 

 四方田 カルチャーのヒエラルキーの解体が急速に進んでいて、ハイカルチャーだった哲学、文学、美術も、サブカルチャーだった映画、マンガ、アニメも、すべてのジャンルが平等になっている。それはしょうがないのかもしれないけれど、この平等化が文明を進歩させているとは思えない。
 坪内 一方で、サブカルチャーの認識もズレてきてる。学生と話していると、「明治の文学」って「サブカル」なんですよ、マニアしか読まないから。「サブカルでシブいぜ」みたいな(笑)。じゃあ、何が「サブ」でないメインカルチャーかというと、『ドラゴンボール』みたいな皆が読んでるマンガ。我々の認識でのオタク・カルチャーが、いまやメインカルチャーなんです。  43頁