老子と暮らす

 雲ひとつ無い快晴の一日だった。気温も十五度に上がり暖かかった。正午過ぎに川を渡っていると、海鵜(うみう)がいた。一羽で川のまんなかあたりの水面に浮かんでいるのだった。
 先日も黒い海鵜が頭上を右から左へ飛び越えて去っていった。その時に、鳥は口に何かをくわえているのだった。餌(えさ)の魚だったのだろう。先日の鳥は今日のこの鳥かな。
 水面の鵜を上から眺めていると、すぐに細長い首からあっという間に潜りこんだ。見えなくなって、なかなか浮かび上がってこない。
 一年前の、この日は寒い寒い日だった。あるひとの野辺送りの帰り道、郊外の小さな川を渡っていた。橋の上から川を見ると、鴨の群れがいた。今から思うとマガモの一団だった。流れのある川で、浅瀬に散らばった鳥たちは、てんでんばらばらに餌探しに夢中になっているのだった。行く川の水はたえずして、しかも元の水にあらず。鴨を眺めながら鴨長明の「方丈記」の冒頭の言葉が浮かんできたのだった。
 種村季弘の対談集『東京迷宮考』で井波律子との対談「隠者という生き方」で、隠者の見直しみたいなことで加島祥造さんに触れられていた。その加島祥造の『老子と暮らす』が、先月(1月)光文社の知恵の森文庫になった。ゆっくりとではあるが読んでいる。中川一政の『腹の虫』という本にも触れていた。うーむ。加島祥造中川一政の「腹の虫」に深く感動している。この本は、ゆっくり繰り返し読める本かな。難しい言葉は一つも無い。