多田道太郎の「風雅の虎の巻」の解説

イチジクの葉

 晴れて日差しが強い。風も強く吹く。 
 イチジク畑の葉が大きくなっている。桑の葉を、マウスパッドの大きさとすれば、その二倍半もある大きさだ。カミキリムシはいなかった。
 夕方、西の空に金星が輝いている。水星は見えなかった。
 橋本治の『風雅の虎の巻』*11991年(講談社文庫)の解説は多田道太郎であるが、面白い。
 「橋本治は一輪の花、つまりひと言の花で言い切ってしまう天稟(てんびん)を持っている。」とか、「彼はイデオロギーとアカデミズムを馬鹿にし切っているみたいだけれど、無理無体に彼を主義者にしてしまうと、平気主義者といったところか。平等主義者は掃いて捨てるほどいるが、平気主義者は今のところ橋本治ただ一人である。」と述べる。
 この世、連想遊びにしくものはない。と多田さんは言いながら、「たちまちぼくの頭にひらめいたのは」と話をすすめる。
 橋本治の文に触発されて、絵画をめぐる箇所で、メディチ家が世界最初の銀行を作ったときの、その門の浮き彫りに果物かごが描かれていることに、ヨーロッパの静物画の起源がここにあると述べる。
 その話が、いつの間にやらロンドンのミルク・ティに対抗して、アメリカ西部に移ったシチリア人によるレモン・ティという一習俗を発明したとなる。うーん。この「連想遊び」(?)に目を剥(む)いた。
 これから、レモン・ティを飲むときには、このエピソードを思い出すことになるんだろうなぁ。