『やみくも』のこと

ヒドリガモ

 2月4日は立春であった。蕪村の句に、「日の光今朝(けさ)や鰯(いわし)のかしらより」。
 川に冬の渡り鳥が泳いでいる。小さな群れだ。ピュー、ピューと鳴き声は聞こえないが、ヒドリガモの群れである。
 正午過ぎに街頭で号外を配っている人を見かける。なんだろうと思って受け取る。
 恐羅漢山の山頂付近で、行方不明だったスノーボード遊びの7人が5日朝、捜索隊に42時間ぶりに無事に発見されたという中国新聞の号外だった。うーむ。近くの十方山で、今まで何度かの遭難があったが、平坦な頂上付近の地形から方向を見失ったのではないかな。
 方向を見失ったといえば、『論座』2008年3月号から、赤木智弘の「誰に、希望をつなぐのか」と高橋源一郎へのインタビュー「世界は間違っている。それでも、明日のことを考えましょう。」を興味深く読んだ。
 高橋源一郎石川啄木の時代を見つめる目を連想している。
 明治維新とその後のわが国最後の内戦である西南戦争についての新書本に、小川原正道の新刊『西南戦争』(中公新書)がある。この中に福沢諭吉が当時、トクヴィルの本に注目していたので、ちょっと驚く。
 内山節の『「創造的である」ということ(上) 農の営みから』で、内山氏が農の営みをとおして現代世界をとらえなおす思想として、トクヴィルの『アメリカの民主政治』を参照していたので・・・。なんだか、振り出しに戻ったような。今までの努力はなんだったのよ。
 『新刊展望』2008年2月号の連載「創作の現場」は、今月号は鴻巣友季子さん。仕事場の写真が掲載されている。PCモニターが二台。一台で文章を書き、もう一台で調べものをするそうだ。
 鴻巣さんのエッセイ集『やみくも』の中では、「下高井戸シネマ」もいいが、「父」と題したエッセイがいいね。家族の姿が目に浮ぶようだ。もっとも印象に残る文ですね。
西南戦争―西郷隆盛と日本最後の内戦 (中公新書)やみくも―翻訳家、穴に落ちる