縁故疎開と水事情

ザクロ

 通りの街路樹にザクロの実が鈴なりである。目にも鮮やかな色つやだ。
 講談社のPR誌「本」2009年9月号に連載、堀井憲一郎の「落語の向こうのニッポン」37は「水汲みの風景」と題して、冒頭で桂米朝の『つぼ算』のマクラの部分から引用して、大阪の水事情を語っている。

 その昔、水は汲んでくるものだった。
「近ごろは何処へ行っても水壺なんてもんは、まあ、見られんようになりましたが、昔は台所には壺があって、そこへ水をためて、井戸水やらポンプで汲み上げたりしたやつは、水壺の中へ入れて、上澄みを使うたもんです」
『つぼ算』のマクラだ。大阪の水事情について、桂米朝が教えてくれる。  30ページ

 先日CDで聴いた、笑福亭仁鶴の「壺算」のマクラを聴き直してみました。

 ええー、大阪は水の都てーなことと言いまして、八百八橋。水は大変多いようですが近ごろは・・・。(中略)
 小学校2年ころに、縁故疎開で京都の方へ行っておりましたがな。
 大阪はもう、まぁー当時すでに水道というもんがございましたけど、京都の山奥、母方の里でございます。
 まだ水道がないので、台所にこの水壺なんていうものが置いてありましたな。
 柄杓(ひしゃく)を上へのせましてね。井戸から汲み上げたやつを台所用に、こう壺に入れてあるんでございますがな。
 釣瓶(つるべ)で汲み上げて、なんていう景色ですねえ。
 学校からも急いで帰って来る。真夏なんか喉が渇いていますから、あわててこの壺のそばに駆け寄りますと、こう柄杓がこう置いてありましてね。ふたを取ってみますと、なんですな、冷たーい水がこう入ってはる。
それを飲んだときの美味しかったこと。