怪談学への誘い

アブラゼミ

 寝苦しい夏の夜は怪談でも読んで、現代ばなれした気分を味わいたい。 
 と、笹川巌著『怠けの歳時記 知る遊ぶ休む』(実業之日本社)の「【七月】怪談」の冒頭にあるが、このなかで展開される「怪談学への誘い」と「書誌学的アプローチ」が実に興味深い。
 幽霊と妖怪の鑑別法。
 《柳田国男によると、幽霊は特定の人間を対象に出現。妖怪は一定の場所に出没――という。
 簡単に、日本怪談史をふりかえると、
 『古事記』、『日本書紀』あたりがルーツという。
 《神代の世界は草木みな言葉をしゃべり、いたるところに神とも妖怪ともつかぬ連中が横行していた。八岐大蛇(やまたのおろち)などは、そのころの化物のビッグスターだが、ほかにも伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を追いかけた黄泉醜女(よもつしこめ)とか、お産のときに鰐(わに)になった豊玉姫など、鬼や変化(へんげ)の類が随所に出没する。
 奈良朝になると、『日本霊異記』で、これは、日本最初の怪談集といってよいという。
 平安朝、鎌倉時代には、奇談を集めた『今昔物語』、『宇治拾遺』などの説話文学が生まれた。
 『源氏物語』、『伊勢物語』、『平家物語』などにも怪異の話が少なくないという。
 この時代は、妖怪では鬼と天狗が幅をきかせているそうだ。
 《平安朝の中期にずっと死刑がとだえていたのは、人道的見地というより死霊のたたりを恐れてのことだし、菅原道真のような御霊(高貴の人の怨霊)をしずめるためにいろいろな神社やお祭が生まれた。怪異談は生活に密着したもので、後世のように趣味や娯楽ではなかったのである。

 鎌倉から室町にかけての中世は、能や草子文学の領域でさまざまな怪異伝奇が語られ、土俗信仰と仏教伝説が結びついた寺社縁起についての説話や語りが発達したという。
 娯楽としての怪談が成立したのが、戦国末期から江戸初期で、この時期のものに『曽呂利物語』があり、中味は怪談集であるそうだ。
 江戸後期は、読本、歌舞伎、講談などで幽霊や妖怪が活躍し、明治の三遊亭円朝のころまでそれがつづく。

 《江戸時代を通じての怪異・伝奇の作者では、時代順に、上田秋成(『雨月物語』など)、山東京伝(各種読本)、滝沢馬琴(『里見八犬伝』など)、鶴屋南北(『東海道四谷怪談』など)の諸家がビッグ・ネームだろう。
 明治以降の怪談文学の大家は、これも古い順に、小泉八雲泉鏡花岡本綺堂内田百間といったところか。
 漱石の初期短編(『幻影の盾』『倫敦塔』など)は、後期ロマン派風の幻想的なものだし、『猫』にも苦沙弥、迷亭、寒月の三人が、こもごも自分の神秘的な体験を話すところがある。欧外にはモダン・ホラー風の好短編『蛇』があるし、露伴には名作『幻談』がある。芥川龍之介谷崎潤一郎も怪奇趣味の作品を多く書いたし、マイナーでは田中貢太郎夢野久作大泉黒石橘外男長田幹彦などが面白い。