冬のモンゴル4

 昭和十九年十二月十五日、厳寒のモンゴル草原に駱駝車四台で、磯野富士子さんらは貝子廟よりいよいよ出発します。
 一行はモンゴル人五人と磯野さん夫妻で、貝子廟より西ウジムチンへ向かうのですが、駱駝にひかれる車に乗って、どことも知れない道を車の振動にまかせて進むのです。 
 案内人の白馬に乗って黄色い皮のモンゴル服を着たセレーテルは、後になり先になり付いていきます。
 食事は、マイハン(木綿の三角テント)の中で、炉に火をおこし、モンゴル人たちは粟入りのお茶と、袋からとり出した凍った肉の塊、羊の腸に内臓と血をつめてゆでたもの、それらをモンゴル刀で削って、火であぶり食べますが、磯野さんは、この日はもう面倒なので大蒙公司で作って下さった小麦粉を水でこね、円形にのばして焼いたものを食べることにします。
 眠る場所はマイハンの中で、《車の中にしいていたふとんを全部持ってきて、下に二枚しき、その上に寝袋を二つ並べ、その上からまた外套類をみなのせる。(中略)さっきたき火の中に入れて焼いた石を布に包んで足の方に入れたおかげで、足先はほのかに暖かい。(中略)入口の正面、炉の向うに横に寝ている私の頭の上にもう一人いるし、顔から五十センチと離れていないところでも、誰かがいびきをかいている。四畳しけるかどうかと思うようなマイハンの中に七人、よくも寝られるものだ。》  61ページ 
 翌日、十二月十六日は食事のあと、十時半に出発する。
 午後二時半に見通しのきくところで休む。休むのは駱駝に草を食べさせるためで、その間に人間は雪を大鍋にとかして水をつくり、磚茶(ダンチャ)を着物のひざにモンゴル刀で削り鍋に入れ、蓋をしたあと、粟(あわ)をアイグ(平たい木の椀)に三杯鍋にいれたものをつくる。
 しばらくするとできあがり。(作り方は15日のを参照)
 粟の入ったお茶が終わると片づけて、午後四時半に出発します。
 道中、昨晩ほとんど眠らなかったために、居眠りをしそうになります。
 零下二十何度の冷たい空気の中の道中です。
 《ここで寝たら風邪をひくと思って一生懸命に目を開けるのだけれど、ひきこまれるように夢心地となる。睡気と寒さとを追い払おうとして歌を唱う。歌のたねもつき、またはてしない静寂を駱駝が一歩一歩ふみしめて進む。》  66ページ