『中村さんちのチエコ抄』と中村正常のこと3

 中村知会著『中村さんちのチエコ抄』によると、劇団「蝙蝠座」が旗揚げしたのが、昭和五年二月のことで、第一回公演の〈女優ナナ〉は、築地小劇場で公演され連日満員の盛況ぶりでした。
 主役の阿部艶子(芸名・三宅艶子)さんの水着姿に、観客の視線が熱く注がれたセンセーショナルな芝居だったようです。
 

といっても、特別につくらせた体をすっぽり包む肉色のタイツの上から、水着をつけたという、今では考えられないスタイルでしたが、当時としてはセンセーショナルなことだったので、話題になりました。  60ページ

 「蝙蝠座」の作家として脚本を書いていた中村正常と昭和六年、知会さんは、

「何をしてもかまいませんゾ、芝居を続けるのもいいでしょう。ま、君の好きなように人生をやりたまえ」
 この殺し文句にひかれ、私は中村正常と結婚しました。  
 昭和六年、正常三十歳で、私が二十一歳のときでした。 65ページ

 その蝙蝠座ですが、一回公演しただけで活動は消滅していきました。
 中村正常さんという人については、知会さんによると、

 

昭和四年、「改造」に「マカロニ」という小説が一等当選して掲載されてから、中村正常の書く小説は〈ナンセンス文学〉と称され、出版界がつくりあげた流行という波に乗って、いちやく彼は流行作家として、もてはやされるようになりました。
 当時、中村正常を含む、舟橋聖一さん、今日出海さん、龍胆寺雄(りゅうたんじゆう)さん、井伏鱒二さんたち、〈新興芸術派〉と称される人々の活躍の土壌には、自由を基調とするその時代の反映がありました。しかし、〈新興芸術派〉は、その後、軍靴の足音が近づくとともに、それに迎合する文学の波に飲まれていったのです。  72ページ