『中村さんちのチエコ抄』と中村正常のこと2

 中村知会著『中村さんちのチエコ抄』を読み継ぐ。
 「築地小劇場」が分裂して、おとなしくしていた知会さんでしたが、後の夫となる中村正常さんとの出会いの場にもなる「蝙蝠座(こうもりざ)」のことが記されています。
 それによると、

築地小劇場」が分裂して、私はしばらく、おとなしい生活をしていたのですが、だんだんと頭と体がうずうずしてきました。
 そんなときに、今日出海さん、舟橋聖一さん、小野松二さん、坪田勝さん、西村晋一さん、そして、後に、夫になる中村正常たちが、劇団「蝙蝠座」を旗揚げしたのです。昭和五年二月のことです。
 まだまだ新劇に憧れ、そのうえ、〈ペンの力〉にも魅力を感じていた私は、さっそく、第一期生として入座しました。
 舞台装置や美術のメンバーには、阿部金剛さん、東郷青児さん、佐野繁次郎さん、古賀春江さん、そして紅一点の佐伯米子さんがいました。
「蝙蝠座」の女優陣には、特別出演の阿部艶子さんの他、毛利菊枝さん、高見沢富士子さん(故・田河水泡氏夫人)、小百合葉子さんたちがいました。
 みなさん、今でも劇団を主宰したり健筆をふるったりして、ご活躍なさっていますので、私は、いつも見習わなければと自分で自分のお尻(しり)をたたいています。  56〜57ページ

 「蝙蝠座」の第一回公演は、〈女優ナナ〉を演(や)ることになり、阿部艶子さんが主役で、相手役に知会さんがきまったのでした。
 阿部艶子さんは、出演するにあたって、芸名を三宅艶子としました。
 彼女は阿部金剛さんの奥さまで、作家の三宅やす子さんの愛娘(まなむすめ)だそうです。

 その頃の流行風俗については、

 大正の末期から〈モダン〉が人気を呼んで、昭和四、五年には、〈モボ・モガ〉が流行の先端をいっていました。
 頭には、お釜(かま)の丸い底を長くしたような型の帽子をすっぽりかぶり、足には先のとがったあみ上げのハイヒール。
 スカートは、ひざ小僧がかくれる丈のひだやストレート。
 ワンピースには、胸に大きなリボンをつけたり、ウエストより少し下がったところに、太いベルトをつけたりしていました。
 昭和四十年頃に流行した、ヒップ・ボーンの原型かもしれません。
 それらがセットになって、初めて〈モガ〉のスタイルができあがるわけです。  61ページ

中村さんちのチエコ抄―娘メイコ,孫カンナ…と私 (徳間文庫)

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