快晴で非常に乾燥している。湿度27%。最高気温11℃、最低気温4℃。洗濯物がよく乾く。
モクレン科の落葉高木のハクモクレン(白木蓮)のつぼみが膨らんで来ていた。
近寄って観察する。ビロードのような感触でつぼみはまだ堅いが、植物の芽吹きがあちこちに見られるようになった。着実に春めいて来ている。
幹に、
ハクモクレン
Magnolia Denudata
白木蓮
モクレン科
いきなり「雑めく」といっても、何のことかと思われるかもしれない。事実「雑めく」という慣用句はない。これは私の造語だからだ。
数年前、私の頭の中に「あっ雑めいたぞ」と独り言のように浮かび、私の心にいつのまにか棲みついてしまった奇妙な言葉なのだ。
「雑めく」は、「ひらめく」とか「ときめく」とか「春めく」などが混じり合ったような明るさもあって、元気の出る言葉である。本書は私の三十数年にわたる有用、無用の雑めきを書き記したものである。「はじめに 雑めく心とは何か」より
谷川晃一のエッセイ集『雑めく心』に、
「佐野繁次郎のパリの匂い」
「『陰影礼賛』から『陽光礼賛』へ」
「植草甚一 雑学の巨人」
「井上洋介 仙がいを超えて」などエッセイが収められている。
「井上洋介 仙がいを超えて」は、1964年に新橋の内科画廊で初めて出会って以来のエピソード交えて井上洋介のペン画の漫画集「サドの卵」「箱類図鑑」など初期の一コマ漫画の作品世界をたどりながら、中期から後期のタブローや絵本や水墨画を論じる。
筆者は画家としての観点から井上洋介の晩年の水墨画を白隠ではなく仙がいの系譜に属すると見立てている。
井上洋介のもっとも良き理解者であった種村季弘の井上洋介論では、井上洋介を曾我蕭白、伊藤若冲、河鍋暁斎、小川芋銭、谷中安規の系譜としているが、《禅画の仙がいの名がないのは私には不満だった。》
《井上洋介の晩年の水墨画は、白隠ではなく仙がいの方だ。ユーモラスなデフォルメや泰然自若たる絵姿は、すでにナンセンスも超えた表現に到達している。》

- 作者: 谷川晃一
- 出版社/メーカー: せりか書房
- 発売日: 2016/10
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る