休みの思想

紅梅

 日記のデザインの設定を変更した。
 戻り寒波で最高気温が7度であった。風も強く吹き、陽射しも強い日であった。通り過ぎに神社の境内に紅梅が咲いていた。青空と紅梅と白い雲との色合いが鮮やかである。
 蕪村の句に「紅梅の落花燃(もゆ)らむ馬の糞(くそ)」。
 夕方の晴れ上がった西の空に高く三日月が見られた。もうすぐ二十四節気啓蟄(けいちつ)である。戻り寒波と晴天で今夜は冷え込みそうだ。
 久しぶりに湯川秀樹対談集『人間の発見』*11981年(講談社文庫)を開く。
 「休みの思想」というタイトルで、作田啓一多田道太郎湯川秀樹との鼎談。湯川さんの語るエピクロス論が好ましい。

 多田 (中略)しかし、そういう与えられた自由、ひまな時間というものを、自分らの、つまり人に迷惑かけない生産性というもの、知的生産性でしょうか、それと想像力、そういうもので満たしていくという新しい状況がいま生れてきている。それが休むということじゃないかと思います。
 湯川 先ほどアリストテレスにちょっとふれましたけれども、彼はエピクロス*2より一つ前の時代の人で、働いて生産的な仕事をするということと、もう一つ、ひまというものがあって、その「ひま」が大事であると言っている。(中略)休みの思想というのは、ただ休むことではない。もちろんボーッとしていてかまいませんよ。からだを休めてもいいです。頭を休めてもいいです。しかし、休めばこそ、いろいろな考えが湧きだしてくる。  124頁