シンガポール体験

 山田風太郎のように医学生で戦争中を過ごしたのではなく、シンガポールで一年近くを過ごした井伏鱒二や映画監督の小津安二郎のように軍属で二年ほど過ごした人の日記(もしくは文章)にも興味があるなぁ。
 井伏鱒二シンガポールに上陸したのと内地へ戻った時期がそっくり重なるように、シンガポールで過ごした人の話を聞いたことがあるから。
 井伏のように軍属ではなく、兵隊で滞在していた。仕事は捕虜になったイギリス兵とインド兵に輸送船にボーキサイトを載せるのをやらせていたそうだ。オーストラリア兵もいて、その中に日本語の上手な人がいたという。日本に生まれて、神戸に高校まで住んでいた人でオーストラリアへ帰った後に戦争が始まり、シンガポールで捕虜になったんだね。
 その人はイギリス側と日本側との間での通訳をしていた。うーむ。こういう人はどちらの事情も分かっているだろうから、なんだか不思議な立場だなぁ。
 それと食料事情。イギリス兵の食事には分厚いビーフステーキを与えていたという。
 シンガポールの要塞の砲台は南の海の方を向いていて、北を向いていなかった。それで、北から来る日本軍へ使えなかった。
 それはさておき、小津安二郎の二年間は一種の「休暇」で、アメリカ映画を観て過ごした。そのあいだ内地は空襲に見舞われている。外地のシンガポールでは別の時間が流れていた。