寒を過ぎた頃見つけた枇杷(びわ)の木に、実が鈴なりになっていた。一月、二月のまだ寒い時期、垣根から伸びた枝のあちこちに枇杷の花が咲いていた木である。
見事に色づいている。高い木で、垣根からはみ出した枝に鈴なりになっている。下から見上げた。枇杷は冬の寒いときに花を咲かせている。目立たない花であるが、その甘い香りはとても好い。
蕪村の句に、鳥もほめないと言って「枇杷の花鳥もすさめず日くれたり」がある。*1
『芸術新潮』2006年6月号は、「特集 芭蕉から蕪村へ 俳画は遊ぶ」で、解説は雲英末雄氏。俳画をめぐって坪内稔典と雲英末雄のお二人の対談「俳画今昔」を読んだ。
兵庫県伊丹市の柿衛(かきもり)文庫*2で、春の午後、お二人が目の前のテーブル上に、つぎつぎ広げられる俳画を見ながら対談する。縁側に座った坪内稔典氏の写真のそばの吹き出しに、「俳画ってなんだかパターン化しているのが不満。おもしろいのは、蕪村だけじゃないですか?」というセリフ。うーむ。どれどれ、とわたしも誌面で俳画を眺めて行く。
蕪村の《「岩くらの」句自画賛》という俳画があって、おっ、これは先日読んだばかりの鶴見俊輔の対談(『ラパン』2000年夏号に所収、「鶴見俊輔・近所を歩く」)で、引用した句ではないか。*3
この俳画は、サイズが38.7×64.3cm。
画面の右上にホトトギスの飛んでいる様子。左下に花が描かれている。わたしの見るところアジサイに見えるんだが・・・。どうだろうか。
〈岩くらの狂女恋せよほととぎす〉の句は、画面の右手に筆で書かれている。
他に、蕪村の《「学問は」句自画賛》の俳画も面白い。
サイズは28.7×21.5cm。題は「書窓懶眠」、句は〈学問は尻からぬけるほたるかな〉。
*1:すさめずとは、賞美せず。ほめない。