庭のない園芸家

 街路樹に百日紅の木があった。紅色ではなく白い花だ。高さは七メートルくらいある。花の色が白と紅色の違いで、まるで別の種類の樹のような気がする。白い花の百日紅もいいなあ。
 書店で、講談社のPR誌『本』2006年9月号をもらう。堀井憲一郎の新連載「落語の向こうのニッポン」が面白い。タイトルは「誕生日なんていらない」で、落語の『子ほめ』を取り上げて、数え年と満年齢の違いを語ることから、〈落語の向こうのニッポン〉がどうなっているのかを、浮かび上がらせている。

 生まれたての赤ん坊は一歳。正月が来ると二歳。正月が来るごとに一つずつ歳を取る。
 数え年の説明文を読むと、いつも違和感がのこる。それは満年齢が普通の数えかたで、数え年は昔の不思議な風習のように書かれているからだ。それはちがう。満年齢は「個人」を中心にした数えかた、数え年は「社会」からみた数えかた、そういう違いでしかない。  12〜13頁

 ブックオフで、平野恵理子の『庭のない園芸家』*1晶文社)をパラパラと読んでいると、「誰が植えてもバラは咲く」というエッセイが妙に気に入った。即買った。105円。
 他に、「憧れのステテコ・チャペック」というタイトルのエッセイがいいね。平野さんは直接教えを乞うわけでもないのだが、ステテコ・チャペック氏らの実にたくさんの近所の師匠から、園芸の技を盗む。カレル・チャペックの『園芸家12カ月』*2(中公文庫)ではないが、園芸の本や図鑑も買い、道具もいろいろ買って小チャペック気取りで、鉢植えや種播きをした頃の回想話である。