折口信夫ー芸能史という宝物庫

能

 二十二日は、二十四節気の一つ小雪である。昨夜の夜半に空を眺めると、新月であるからか、天の川の星が明るく感じられた。天頂付近は星が密集しているかのようだった。
 昨夜のNHK教育テレビ「私のこだわり人物伝 折口信夫ー古代から来た未来人」の第三回、《芸能史という宝物庫》を観た。
 大阪市天王寺区にある生國魂(いくたま)神社の境内から中沢新一が、芸能にも民俗学の思想を徹底させた折口信夫の生まれ育った土地を語る。身近にコテコテの上方芸能の世界が折口にはあった。芸能とは、精霊との関わりの中で発達させた表現の形態であるという。
 また、芸能の最も古代的な姿は「翁」にあると見ていた。
 《翁舞の起源を説いて、その近世の歪んだ形から、元に戻してみる。》
 この能の「翁」はストーリーはないし、意味、由来が分からなくなっていた。『翁の発生』という論文で折口は明らかにしている。このあたりの中沢新一さんの話は、日本の芸能の根源形態を解き明かした折口信夫のその核心に触れている。とてもスリリングな話だった。
 「まれびと」の出現様式と翁の出現様式はまったく同じものだということに思い至ったもう一人の人物、世阿弥の娘婿の金春禅竹(こんぱるぜんちく)(1405〜1471年頃)は、『明宿集』で日本の芸能のもっているとてつもない深層を明らかにしていた。
 『明宿集』は、折口が生きているときには、まだ発見されていなかったのだが、折口の芸能論は金春禅竹の考え方と生き写しだったというのだ。折口の類化性能、恐るべし。
 終わりに、中沢新一さんが「貴種流離」、「まれびと」、神々や精霊にもっとも近い場所にいて、芸能をもって流浪している旅芸人への折口信夫の思いを語られていた。
 参照:「私のこだわり人物伝」http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200611/tuesday.html