荻野アンナの『古武術で毎日がラクラク!』

 八月の朝日新聞文芸時評の切抜きを読む。加藤典洋が、「非母語のひろがり」と題して、イーユン・リー、笙野頼子荻野アンナ津村記久子らの作品に注目している。母国の文学世界は、低調である、という。
 荻野アンナの『古武術で毎日がラクラク!』(祥伝社)は、甲野善紀・指導、荻野アンナ・文による本である。副題にあるように、《疲れない、ケガしない「体の使い方」》が述べられている。
 荻野さんは、甲野善紀さんの道場へ通ううちに古武術は、仕事、家事、介護に自分の老後と、全方位に、即使えると気付いた。
 加藤典洋は、文芸批評で荻野アンナの『蟹と彼と私』を《先の場合と同じく、筆者は、この作者のダジャレ語呂合わせを苦手としてきた一人である。しかし作者の「さむいギャグ」が「母語では書けない」ピュアな心のギリギリの表現であること、これを読むと、わかります。》と、言わしめている。
 甲野さんの道場で古武術を体験したことを、荻野流のダジャレ語呂合わせで書いているのだが、読んで即実用になる気がする。
 介添え歩き、椅子から立たせる術、寝ている相手の上体を起こす術といった介護術の説明が実に分りやすく表現されているのだ。
 全身の力を使うための決めポーズとして、「キツネコンコンの手」は、甲野流の正式名称は「折れ紅葉」。それを、楳図かずおのマンガ「まことちゃん」の決めポーズの「グワッシ」、アレですがな。と説明する。
 そうして、読むなり、使えます(きっぱり)。として、

 今、もし重い荷物片手なら、「荷物の持ち方」が使える。本屋を出たあと駅の階段があるなら「階段の上り方」を、電車が込んでたら「満員電車すり抜け術」を、読むよろし。「古武術」という文字はいかめしいけれど、「術」とは「一定の方法により身に付いた技芸」(辞書)。「一定の方法」といっても指1、2本の問題だったり、気の持ちようだったり。ちょっとしたコツで、すぐラクになる。わざわざラクを避けてきた今までの人生っていったい何だったんだよ、と少し憮然(ぶぜん)とするかも。  14ページ

古武術で毎日がラクラク!―疲れない、ケガしない「体の使い方」