1日、午後より雨で夜半にかけて降り続く。南の風が吹いた。
2日、朝の最低気温9℃で晴れ暖かい。午後、気温が18℃まで上がる。
街路樹のつばきを見ると、まだつぼみだ。
1月の読書で面白かったのは、中村知會著『中村さんちのチエコ抄』である。
1984年4月に主婦と生活社より刊行された。読んだのは徳間文庫版である。
1990年11月15日初版。
中村知會(中村知会)さんは女優・中村メイコの母、作家・神津カンナの祖母。
少女時代に転々と親戚の家に身を寄せて育ち、後に築地小劇場の女優を経て、ナンセンス作家・中村正常と結婚した。
夫がその後、筆を折ったので夫に代わって働き、娘メイコを育てた人で、夫の中村正常さんとの面白いエピソードが語られている。
今となっては貴重な見聞が書かれていて興味深い。
尾形明子著『華やかな孤独』でふれていたが、林芙美子の「放浪記」は1928年(昭和3年)10月から1930年(昭和5年)10月まで、20回にわたって『女人藝術』に連載されたという。
『中村さんちのチエコ抄』を読むと、
「築地小劇場」の分裂の後、私は人並みに昼は洋裁学校へ通い、夜は再び母と二人、静かに生活するようになったのです。*1
その頃、新劇の役者たちの憧れの的で、美人のほまれのたかかった作家の長谷川時雨(しぐれ)さんが「弾圧」という雑誌を刊行しました。その雑誌は爆発するエネルギーのもっていき場のない若者たちに、大きい影響を与えました。
当然、私もその影響をうけました。ある日、私は思いきって、編集部に長谷川時雨さんを訪ねたのでした。
時雨さんには、以前、偶然にお会いしたことがありました。
芝居の切符を売りに、文藝春秋社の菊池寛先生をお訪ねした何度目かのときに、菊池先生の部屋で時雨さんとお会いして、先生に紹介していただいたのです。
そのときは、ただそれだけで、お別れしてしまったのでしたが、そのすぐあとで時雨さんは、三宅やす子さん、平林たい子さん、矢田津世子さんらと、女性だけの雑誌「女人藝術」を発刊なさったのです。
女流作家に対して、尽力を惜しまない時雨さんは、多くの名もない女流作家の力になってあげていらしたのです。 55ページ