ベルンのパウル・クレー

アキグミ

 街路樹にグミの木があり、葉がもう出ていた。アキグミだ。樹は幹や枝が灰黒色をしている。ナツグミは夏に赤く実が熟すが、このアキグミの実は秋になる。
 『芸術新潮』2005年12月号*1は「特集 パウル・クレーの静かな闘い」。〈静謐な画家がこころみた果敢な闘いの跡をさぐる〉として、前田富士男と宮下誠のお二人が質問者に答えるという構成で、クレーの絵の秘密を語り明かしている。

 ところで、クレーはいつどこでクレーになったのでしょうか? 1914年のチュニジアで、というのが一種の定説になっています。というのも、34歳のその旅で「色は、私を永遠に捉えたのだ・・・・・・私は、絵描きなのだ」と、クレーが日記に書いたからです。たしかに画家の開眼物語としてはドラマティックですが、ちょっと話ができすぎている。僕たち(前田、宮下)はむしろ、彼がチュニジア以前からたびたび描いていた故郷ベルンの郊外、オスタームンディゲンの石切場に注目したい。  20頁

 クレーのターニングポイントになった絵というのは、1915年の《石切場》という一点からはじまったのです、という。ふうむ。その石切場は、「ベルン紀行 熊の古都でクレー散歩」にある地図だと、クレーの実家から東に二キロメートルほどのところにある。実家と石切場の真ん中あたりに、2005年の6月にパウル・クレー・センターが開館。建物は羊がのんびり草を食んでいるようなベルン郊外だ。ベルン中央駅の近くのベルン美術館に所蔵していた作品はパウル・クレー・センターへ移動したが、ここにも数点が残るという。
この紀行はベルンを中心に、クレーの絵をたどるのに便利で、十分実用的な案内書だ。