山口昌男著『エノケンと菊谷栄』

 新刊の山口昌男著『エノケンと菊谷栄』を読んでいます。
 副題(サブタイトル)は「昭和精神史の匿れた水脈」とありますが、読んでいてその匿(かく)れた水脈が興味深い。
 
 大正十(一九二一)年、十九歳の菊谷栄は上京して、日本大学法文学部文学科(芸術学)に入学します。
 菊谷栄について、山口さんは「第一章 演劇への目くばり」で、以下のように書いています。

 《菊谷は歌舞伎をよく見ていたし、台本も『歌舞伎全集』(創元社)などをよく読んでいたらしい。また、そのうちの何冊かが生家に遺品として残っている。『世界戯曲全集』(同全集刊行会)も読破していたことはほぼ確実なところである。その結果、習作的論文とはいえ、ここにかいつまんで紹介した論文におけるように、伝統劇と来たるべき近代劇を総合した視点を持つことが出来た。》17ページ

 山口さんは、菊谷栄の演劇への目くばりのよさを強調しています。

 《大正十二年、関東大震災の年、日大時代の菊谷は、『昼過ぎのアトリエ』(五月)、『弾正の謀叛』(六月)などの習作を試みている。「菊谷栄年譜」(『ツガル・ロマンティーク 陽炎の唄は遙かなれども』上演パンフレット)によれば、特に『弾正の謀叛』は、先生から「在学学生中一位、二位」の出来と誉められたらしい。》18ページ