正午過ぎ、川を渡る橋の上から水面を眺めると水鳥が泳いでいた。この三日ほど見かける水鳥だ。最初の日に見かけた鳥は、水中へもぐり浮かび上がると嘴(くちばし)に魚をくわえていた。羽(はね)の色はカラス色。くちばしは長く大きい。鵜飼の鵜にそっくりだ。群れではなく、いずれの日も水鳥は一羽で行動していた。うーん。野生の鵜かな。
「鵜の目鷹の目」ということわざのように、鵜は水面下の魚をにらんでいるように見えた。しばらく鵜の動きを追っていると、くちばしから川の中へもぐった。もぐったまま、なかなか浮かび上がって来ない。どうしたのだろう? 溺れたのか。
するとしばらくたって、もぐった水面からはるかに離れた川面(かわも)に鵜は姿をあらわした。くちばしには魚をくわえてはいなかった。
鵜が川の真ん中で泳いでいる時に、川岸の水際で足を川に入れたカラスが一羽いた。「鵜の真似をする烏(からす)」かな。
それはさておき、田中小実昌の『世界酔いどれ紀行ふらふら』2000年刊、(知恵の森文庫・光文社)を読む。まえがきの「わからない旅」で、
ぼくは物かき商売だし、言葉には興味がある。翻訳でたべていたこともあり、小説とちがい、翻訳では評判になったこともあった。
ところがオジンになって現代ギリシア語をちょっと勉強したが、まるっきりダメだった。記憶がおとろえると、語学はできない。一学期、現代ギリシア語の教室にかよい、そのあとギリシアのアテネにいったのだが、そこでギリシア語はあとかたもなく消えてしまったのは皮肉だ。
そういえば、せっかく勉強したフランス語もドイツ語も、兵隊にいってるあいだに、すっかりパアになってしまった。戦争は語学にもよくない。
英語は、戦後アメリカ軍ではたらいていて、おぼえなおした。辞書はぜんぜんひかず、わからない言葉は、みんなアメリカ兵にきいて翻訳したりした。それがよかったかどうかはわからない。しかし、いまどき辞書なしに翻訳するなど、まったくシンドイことだ。 5〜6頁
と、田中小実昌はマルタの島の言葉をめぐっての興味から、自分の語学についての思いなどを回想する。キプロス、ニューヨーク、シドニー、アムステルダムの紀行文と未発表の「ブレーメンふらふら」、「ベルリンふらふら」、「ロンドンふらふら」が収録されている。
他に、よせがきとして、1993年から95年にかけてコミさんといっしょに旅をした田家正子さんが、「コミさんといっしょに旅をして」という文を寄せている。それによると、
コミさんは、旅のなかで聞こえてくる生きたコトバに注意深く耳を傾けていた。生のコトバを通して、発音や文字表記やコトバの持つ微妙な違いに、いつもこだわっていた。 263頁
解説は、勝谷誠彦。『いつか旅するひとへ』、1998年刊(潮出版社)で、田中小実昌さんと雑誌『旅』で一緒に旅をした紀行文を書かれている人なので、この解説に注目した。