多田道太郎の『自分学』

 NHK教育テレビの「美の壺」という番組は、今夜は「箸」であった。
 二本の棒で、割るつまむ混ぜる巻くといったことができる。
 箸にうるしを塗ると、デザインと耐久性に優れた品質になり、防水と防腐を兼ねていた。若狭塗り箸の製作工程を、福井県小浜市の箸問屋や職人さんの手わざに見ることで、うるしの「用と美」の秘密を知る。
 うるしを塗ること三十回。塗ることで強度も増すという。
 箸先の太さで食べ物の味が違って感じられるので、箸先一寸が命であるそうだ。あなたは、ご飯を何で食べていますか。はい、箸と茶碗で食べています。
 参照:「美の壺」箸の巻http:http://www.nhk.or.jp/tsubo/arc-20070216.html

 多田道太郎の『自分学』*1朝日出版社)という本は、著者自身が「劣等とか劣等感に興味があるし、そこに思い入れがあるからで、学問もこうしたところで発想している」と言う。
 そういった劣等感を逆手にとって学問すれば、かなり素晴らしい学問ができあがるはずです、と冒頭に述べながら興味深い話を展開している本である。
 その中に、箸についての話がある。劣等感覚論からゆくと、すべて話が逆になるが・・・。

 箸は『古事記』に出てきます。非常に古くからあったものですが、平安時代のなかごろまではピンセット型のようになっていて、上でつながっていた。
 それがやがて二つに分かれて指で操作するようになった。道具の「レベル」を考えるなら、フォークよりもはるかに高級なものでしょう。なぜなら、フォークは人間の指をそのまま延長したものにすぎないからです。
 箸は、もともとは指の真似と思うが、発展して二本の棒となると、これは五本の指で操作する道具なのです。このように、箸には操作性というものがある。道具の歴史の段階でいえば、人間の体の機能の延長線上に道具を並べますと、その機能の原形をとどめているものほど素朴なのです。変形して、人間の肉体が扱うという操作性の高いものほど、「高級」な道具ということになる。だから、フォークよりも箸の方がある意味では高級だし、文明度が高いといったのです。
 箸や茶碗は魂がこもっていると同時に、道具として文明のレベルが高いということになります。(もっとも、劣等感覚論からゆくと指の触覚をたのしむ手づかみがいちばん「高級」ということになる。すべて話が逆になる)。  116ページ