『メイスン&ディクスン』を読む

 トマス・ピンチョンの『メイスン&ディクスン』を読んでいる。
 アメリカ大陸を測量しながら旅をするメイスンとディクスンだが、「第二部 亜米利加(承前)」の67に、モホーク族が登場する場面、それはアメリカの内陸にある大きな公道で境界線ということになる南北に伸びている径(みち)をめぐる話である。
 少し長いが引用してみよう。
 

二週間もせぬ内に、米蕃(インディアン)の一団が測量隊に仲間入りする。ウィリアム・ジョンスン卿によって送り出された、大半はモホークの戦士たる彼等は、十月末まで隊と行動を共にし、と或る戦径(いくさみち)まで来た時点で、天文観測士二人に向って、六部族連合からの指令ゆえ自分達はこれ以上先へ行くことは許されない、と宣言するに至る。そこで必然的に示唆されているのは、測量隊も測帯も〈線〉も、この径より西へ行ってはならぬということ。
 予測しなかった痛手、という訳ではない。米蕃に同行しているヒュー・クローフォードから、この件については逸(いち)早く伝えられていたのである。「死ぬのとちっと似てますな――先に控えていることは判ってる、でもいつだかは判らない、だからまあ今日はまだ大丈夫だろう、って思い続ける訳です。
 今後、米蕃の道には始終行き当り、横切ることになります。それに関してはモホークの連中も特に気にしません。ですが、この先に控えておる、測帯を斜めに横切って大凡(おおよそ)南北に伸びてる径(みち)がありまして、これは〈大いなる戦径〉の名で通っています。こいつは連中にとって重要な道ってだけじゃありません、――亜米利加(アメリカ)の内陸全体でも有数の大きな公道なんです。ですから、これが紛れもない境界線ということになる訳で、行き当った暁には、渡ってその先へ行くことは許されません。」  375〜376ページ

 この天文観測士二人というのが、この物語の主人公メイスンとディクスンである。
 天文学者チャールズ・メイスンと測量士ジェレマイア・ディクスンの二人。
 米蕃(インディアン)達と測量士二人が、或る夜、夜空を見上げて星をめぐる問わず語りの会話がある。

「彼処(あそこ)の星の集まり、見えます?」ダニエルが北斗七星を指す。
「我々は大熊と呼んでいます、」メイスンが伝える。
「私等もです。」一向に驚いた様子はない。「じゃあ、その傍の折れ曲った線は?」
「熊の尻尾です。」
 米蕃達は暫くのあいだ笑いが止らない。「あんた方の国の熊、随分尻尾が長いんだねえ。」
「いや全く、実に長い尻尾の熊だ。」
「ほんとに尻尾だって思います?」
「あんた方が『尻尾』と呼んでらっしゃる星座は、熊を追って来た狩人です。あんた方の狩人は何処です?」
 メイスンは牛飼座を指し、次に猟犬座(ハンティング・ドッグズ)を指す。「公式にはそういう名ですが、みんな単に犬(ハウンズ)と呼んでいます。」  384〜385ページ

 米蕃達とメイスンが星空を見上げて、他(た)の世界に生命が存在する可能性を論じたりするのだが、
 

「あんた方の星見(ほしみ)で判らんのは、」とダニエルが云う、「あんた等はいつも星を見ていて、星は一向にあんた達を見ないことだ。」
「君達のことは見るのか、星が?」不意を衝かれて、メイスンは俄には信じられない。
「何回も。一度に全部が見るのではない。大抵は一度に一つずつだ、――だがとにかく、そうとも、私等の許に星はやって来る。」  383ページ