映画『裸の島』を観る

 4月22日は新藤兼人監督の百歳の誕生日です。
 21日、「新藤兼人 百年の軌跡」で上映中の一本、映画『裸の島』(1960年、近代映画協会、95分、白黒)をシネツイン本通りで観る。
 出演は乙羽信子殿山泰司、田中伸二、堀本正紀。
 音楽は林光。新藤監督の17作品の音楽を担当し、今年一月に亡くなられる。
 モスクワ映画祭グランプリ、キネマ旬報ベストテン第6位。

 作品はセリフ無しで、音楽のみ。
 冒頭、空からの移動しながらの俯瞰撮影による瀬戸内海に浮かぶ小島の光景が映る。
 小さな島で、平地はなく急峻な崖で回りは囲まれている。
 夜明け前の暗闇の中を夫婦が小舟を漕いで対岸の島に上陸し、水源から木桶に水を満たし、担(かつ)いで小舟に乗り、島に漕いで戻る。
 急峻な道を天秤棒に前と後に木桶を担いで一歩一歩と踏みしめて島の頂上近くまで登って行く。
 住居まで水を運び終えると、夫婦と男の子二人の四人で野外のテーブルで朝食にする。
 食後、母親(乙羽信子)は、二人の子のうちひとりを対岸の小学校へ小舟で送って行く。
 戻ると夫(殿山泰司)と二人で、島の畑に植えた苗へ黙々と水を注ぐ農作業にいそしむ。
 島に吹く風、瀬戸内海を行き来する船、島から見える風景・・・。
 春、夏、秋、冬と季節は移り変わる。毎日、日課のように対岸の島へ水を汲みに行き島へ小船で持って帰る。畑に植えた苗へ水を注ぐ農作業。
 夏、家族旅行、尾道へ子どもが捕った鯛を持って行きそれを売って家族で外食をする喜び、千光寺公園のロープウェイでの行楽。作物の収穫の季節など・・・。
 夏、小学校へ通っていた男の子(鯛を捕った子)が急病になる。医師を探しに父親は対岸の村へ渡り、探し当てて連れ帰り、だが手当ての甲斐なく急逝した。
 学校からの同級生たちと僧侶と先生が船で島へやって来て、島の頂上で皆で弔(とむら)う。
 やってきた船で彼らが帰ると、島には一家三人が残される。

 ラスト、再び冒頭のように、小島が空からの空撮によって映し出される。
 ゆるやかに頂上一帯に広がる畑と住居が鳥瞰されるのだった。


 余談ですが、イランのアボルファズル・ジャリリ監督の『ダンス・オブ・ダスト』は、この映画『裸の島』の影響を受けているのではと、ふと思いました。
 セリフなしで、この作品は音楽もないのですが・・・。
 

 新藤兼人著『三文役者の死』(同時代ライブラリー)に、『裸の島』についての記述があります。

 
 独立プロを起こして十年目にさしかかっていた。
(中略) 
 近代映画協会も例外ではなく、『原爆の子』『夜明け前』『縮図』『女の一生』『足摺岬』『どぶ』『狼』『第五福竜丸』と自主制作をやり、松竹、大映、新東宝、日活などと提携作品(企画売り)をこなしてきたが、しだいに経営難となった。独立プロの壁にぶつかったのである。
(中略)
 わが独立プロもいよいよ解散のときがきたのかと思った。タイちゃんは、日活、東映と売れていたから心配はなかったが、乙羽君の身のふり方だ。乙羽信子は宝塚の出身だから宝塚が頼みの綱である。宝塚生みの親の小林一三がまだ健在で、これに乙羽君が会いに行くと即座にオーケー、東宝系列の東京映画に契約が出来た。乙羽信子大映に弓を引いたとして五社からパージされていたのである。 
 解散するならば、最後に一つやりたい物があった。ずっと前に書いておいた『裸の島』である。これはまったく実験映画的内容で、全篇一言もセリフがない。映像を徹底的に追究してみたいと思ったのである。映像の原点は一コマのフィルムで、セリフはその一コマの映像に付随するもの、という考えがわたしにはあった。  110〜111ページ