石井鶴三の装丁画のこと

 北村薫宮部みゆき編『名短篇、さらにあり』に所収の川口松太郎の短篇『不動図』の冒頭に、 

石井鶴三の個展が資生堂の二階にあった。昭和初年のことである。石井さんの画は前から好きで再三見ている。春陽会では中川一政木村荘八、小杉放庵の三人と石井さんの画が楽しみで、前にも小さい一点を買ってまだ持っている。牛の上に乗った牧童が笛を吹いている図で、小さくとも風情のある構図だ。吉川英治宮本武蔵朝日新聞へ出た時には石井さんが挿絵を描いたが、あれは実に印象の深い名作だった。武蔵やその他の人物を適確な構図と安定した描線できびきびと鋭く描いている。

 川口松太郎は、資生堂の個展で石井鶴三の「不動図」という画が気に入り購入するわけです。 

一目見るなり気に入って画商に価を聞くと千円だという。昭和初年の千円は小さな家なら一軒建つほどの値打があったから千円の画は相当なものだ。梅原龍三郎の十号の画が二千円でその当時としては最高の洋画だった。石井鶴三の千円は少々高すぎるようだが、そんな事も念頭におかず、
「買うよ買う」
 と画商に向っていった。