12日、松山俊太郎氏の訃報を知りました。
朝日新聞の記事によると、《「澁澤龍彦全集」の編集に携わり、ハスについての研究でも知られる。著書に「綺想礼讃」「インドを語る」など。》と簡単なものです。
『綺想礼讃』は国書刊行会から刊行されています。
稲垣足穂との対談があり、足穂ファンには必読でしょう。
最近、再読していたのが、種村季弘著『晴浴雨浴日記』なのですが、松山俊太郎氏が登場する種村さんのエッセイがありました。
ひとつは、「教養三日論者」で、1988年「銀座百点」7月号(銀座百点会)に初出のエッセイです。
一部を引用してみると、
(前略)いまから四十年に近い三十年以上前の、大学初年級の頃の話である。角刈りの男は同級生で、古サンスクリット語を専攻していた。(中略) 三日で教養をつんだだけあって、なんでも知っている。「チンプク、マンプク、ムッチン、チャーラカ・・・・・・」というのがチベット語の一、二、三、四だというのも、この人から教わった。五から先はその場で忘れた。ほかにネパール語の数のかぞえ方というのもあったような気がするが、こちらはもう全然記憶にない。
(中略)
この前ひさしぶりに教養三日論者に会った。これも偶然だが、今度もゆきずりのそば屋へ入った。教養三日論者はあい変らず天ぷらそばを取った。今日は「詩経」は持っていなかった。当たり前である。教養三日論者からすればそんなものはとっくに卒業していなければならない。その代わり乾隆帝全詩集の話が出た。乾隆帝が全生涯かけて作った四万首の詩を一ヵ月かけて読みとばしたという。 「あんまりいい詩はなかったな」
そういって、また天ぷらそばをずるっとすすった。こちらはあい変わらず、それをそばでながめて呆気に取られている。ふと思いついて、
「チンプク、マンプク、ムッチン、チャーラカ・・・・・・」
といってみた。「ん?」
と教養三日論者が眼をむいた。
「これ、チベット語の一、二、三、四だろ?」
「いや、そんなチベット語ないね」
「だって、前にそんなこといってたんじゃなかった?」 「そうかな」
「そうかなって、おい、それじゃ・・・・・・」 それじゃこっちは、四十年近く存在しないチベット語を真に受けていたことになるじゃないか、といってみても愚痴になるだけだから、そのことばは呑みこんだ。 195〜197ページ

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