装幀を考える

雑誌「大学出版」

 紀伊國屋書店の「scripta」no.41と「大学出版」108号(2016年秋)を頂いた。

 「大学出版」108号の特集は、「装幀を考える」。
 装幀をめぐり四人が寄稿している。*1
 その一人、「舟と装幀に関する覚書」(間村俊一)の文章が面白かった。
 間村俊一氏は装幀家で、「ぼく自身俳句もやります」という方のようです。

 一部引用をさせてもらいます。

 (前略)しょせん装幀とはいかに見映えよくテキストを飾って本として市場に送り出すか、それが装幀家の手腕なのである。十二単では重すぎるし、ケバい厚化粧のような装いも嫌だ。やはり涼しく、凛として、さりげないたたずまいであれば、それにこしたことはないと思って、三十数年本を装ってきた。

 用紙こそが着物(べべ)である。

 [帯]
 腰巻は大事です。

 [函」
 最近なかなか見かけません。(中略)函とはカタツムリの殻、書物にとっての家のようなものでありましょうか。なくてもいいかもしれないが、切実にあった方が良いに決まっています。

 [表紙]
 たいていのことはやり尽くされているのだから、少しよそ見をすればいいのです。

 [俳句]
 俳句と装幀は似ているか。ぼく自身俳句もやりますのでよく聞かれる質問です。よく似ています。そぎ落とすのです。一句に季語が二つあるのを季重なりと言って、俳句では嫌いますが装幀も同じです。

 [版下]
 スマートフォンを操り『銀河鉄道の夜』を読む若者たちよ、絶滅の形態としての書物を想起せよ。

 初夏の版下あはれ書物果つ

 [蛇足]
 あくまで寄り添う存在である。

 「結論めいたいいわけ]
 女の、男の、父や母の、すべての人々ののっぴきならない生き様の果てに成立する一冊。それを書物という。ゆまりである。匂いのない本など、ごめんである。


 酒ばかり飲んで来た。しかし酒も飲まずにどんな本が装幀できただろうか。宮澤賢治全集、江戸川乱歩全集、中原中也全集、・・・・・・。全集ばかりではない。ギリギリ間に合った種村季弘さん、加藤郁乎さん、松山俊太郎さんたちの本、皆さんと豪勢な酒席を共にできた。

*1:「問い」の生まれる場所(鈴木衛)、ある編集者の装丁事情(木村公子)、装幀をめぐる問題系についての試論(大矢靖之)。