「転々私小説論」とタンク・タンクロー


 25日、晴れて気温が21℃まで上る。早朝は10℃で肌寒い。
 乾燥した風で爽やかである。
 26日、公園の池に蛙を見つけた。一度鳴き、後は沈黙したままの声の主を探ると池の縁にいた。
 池の底の泥に冬眠していたものらしい。背中の模様は鮮明ではないが、トノサマガエルの模様がかすかに認められる。最高気温19℃で北西の風が乾燥している。

 阪本牙城の『タンク・タンクロー』の復刻版で、気づいたことを書いてみる。
 大日本雄弁会講談社から昭和十年十月五日発行を復刊している。
 巻末に出版物の広告があり、宇野浩二の「花の首輪」、「父の国と母の国」、「母いづこ」、「春を告げる鳥」等や、村岡花子「日本イソップ物語」、田河水泡蛸の八ちゃん」、島田啓三冒険ダン吉大遠征」、牧野大誓「長靴の三銃士」や「無敵三銃士」、中田千畝「キチキチ小僧漫遊記」、宮尾しげを「漫画のお祭」などが掲載されている。
 宇野浩二といえば、多田道太郎の『遊びと日本人』にある宇野浩二論が面白い。
 その多田道太郎の『転々私小説論』が講談社文芸文庫になった。
 二〇〇〇年六月から翌年八月にかけて、『群像』に四回にわたって多田道太郎の「転々私小説論」が掲載された。
 第一回「葛西善蔵の妄想」(六月号)、「諧謔宇野浩二」(十一月号)、「飄逸の井伏鱒二」(四月号)、「飄飄太宰治」(八月号)と四回にわたり連載された。
 第二回に多田さんは「諧謔宇野浩二」と題して書いている。
 多田さんが幼少期に愛読した漫画、阪本牙城の『タンク・タンクロー』が影響しているのかもしれない。