2014夏 八月の夜に何想う

 夜、NHKラジオで放送していた「いとうせいこうトークセッション2014夏 八月の夜に何想う」という番組を聴いた。
 番組の後半で、いとうせいこう國分功一郎の両氏の談話(トークセッション)が面白かった。
 というのは、國分さんの発言にバートランド・ラッセルが、教育というものはかつてすべて人生を楽しむための訓練であったと言っているということを耳にしたからです。
 参照:http://www.nhk.or.jp/r-asa/session/index.html

 國分功一郎さんの談話を一部聞き書きしてみると、


 《ぼくはこう考えていて、ぼくの本で「暇と退屈の倫理学」という本があってですね、暇ってぼくそこで言っているものと、ほとんど自由っと、一緒なんですよ。
 暇って自由な時間のことじゃないですか。
 で、自由な時間あると、何していいか分んなくて、みんな退屈しちゃうわけですね。
 ということは、暇な時間に自由な時間に、あるいは自由であるときに、楽しめるようになること、退屈しないで楽しめるようになること、それが一番大切なことだってぼくは思っているんです。
 (中略)
 今述べたことにひとつ前提があって、人は楽しむってことをまったくなんの準備もなかったらできないんですね。
 たとえば、日本語が読めるって、文章が読めるから文学が楽しめるわけですよね。音楽の勉強して楽器が弾く練習したから音楽楽しいわけですよね。
 そうすると、いろいろ学ぶ、あるいは、もっとちょっと強い意味でいうと訓練する。
 そういうことがあって、人ははじめて楽しめるってことだと思うんです。
 だから、楽しむための訓練っていうものを、どれだけ一人一人がこう積み重ねていけるか。
 これが実(じつ)は、自分の自由の可能性を活(い)かしていく、最も大切なことじゃないかなぁと思うんですね。》

暇と退屈の倫理学

暇と退屈の倫理学