俳句はつぶあん、短歌はこしあん?

ハスと水滴

 二十四節気のひとつ夏至から十日ほど過ぎて、まだ梅雨空がつづく。
 連日、三十度前後に気温があがり蒸し暑い。

 夕方、公園の池に寄る。ハスの葉が水面から伸びて高くなり、雨水が葉の上に溜まっていた。
 池には蝶トンボや赤トンボ、糸トンボが見られた。トンボの動きが活発である。
 トンボばかりではなく、小さな蝶が飛び回っていた。クローバーの花の蜜を吸っているのは、ヤマトシジミのようだ。見えている翅(はね)は、裏面になるのだね。
 

シジミチョウ科のチョウ。本州以南に普通にみられ、翅(はね)の開帳二七ミリくらい。翅の表面は雄が青紫色、雌は暗褐色、裏面はともに褐色を帯びた銀白色で黒点列がある。幼虫の食草はカタバミ。  『大辞泉


 新刊で、天野祐吉編『隠居大学』(朝日新聞出版)を読む。
 六人の講師に、横尾忠則外山滋比古赤瀬川原平谷川俊太郎坪内稔典安野光雅
 お相手が天野祐吉
 第五時限「うふふ力を磨こう」では、坪内稔典講師と天野祐吉の談話。
 俳句は自由に解釈していい
 ゲーム感覚で楽しもう
 モーロクするほど名句ができる
 俳句はつぶあん、短歌はこしあん 
 以上の中で、俳句はつぶあん、短歌はこしあん? の箇所が面白かった。

 

 天野 話はガラッと変わりますが、坪内さんの朝食は、あんパンと決まっているんですよね。
 坪内 そうです。もう三〇年ぐらい、あんパンです。今朝は、あんパン二個とトマトジュースとチーズと梨と柿を食べました。
 天野 あんパンは、大きいやつですか。
 坪内 最近は粒がぎっしりつまっているのが流行っているんですが、ぼくはほどほどの、パンとあんこの間に少し空間があるようなやつがいいですね。
 天野 空洞があるやつで。あんこはつぶあん
 坪内 ええ。天野さんはこしあん派ですよね。ぼくはこしあんも食べるんですけどね。基本的にはつぶあんです。甘納豆から入ったので。  138〜139ページ

 といった話から、天野さんが、世界のあずきの生産量のうち七割ぐらいが日本で栽培されていて、そのうちさらに七、八割があんこになっている。ものすごいあんこを食べている日本人の文化に影響していないわけがない、と、むちゃくちゃな仮説から、つぶあん派とこしあん派が相克しあい、文化的な発展をしてきているのではと展開する。
 それを受けて坪内さんが、天野さんの質問に答える。 
 

 天野 (前略)たとえば、芭蕉は、こしあん風。蕪村はやや、つぶあん風とか。
 坪内 そうですね、芭蕉こしあんでしょうね。蕪村もこしあんじゃないですか? 
けっこう、洗練されて知的な感じですし、ちょっと難しくて意外に大衆性がないんですよね。
 天野 つぶあん風の俳人っていうと誰ですか。
 坪内 一茶はそうじゃないかな。
 天野 そうか。ぼくの大好きな一茶はつぶあんか。
 坪内 (笑)でもね、どちらかというとぼくは、天野さんのつぶあんこしあん派というのと同じことを、俳句的人間と短歌的人間って呼んでいるんですよ。ぼくの中では、つぶあんは俳句的人間、こしあんは短歌的人間ですね。 
 天野 どういうところが、俳句的、短歌的なんでしょう。
 坪内 そうですね。まず、俳句は、自分の言いたいことを言わないんです。これは、つくるときにも意識しておくといいと思うんだけど、いちばん言いたいことを言わないのが、俳句がうまくなるコツですよ。よく、「わたしのこの俳句はこんなところがこんなにいいんです」と、自分で一生懸命説明する人がいるんだけど、そういう人はあまりうまくならない。自分の俳句についてしゃべらなくて、人の意見を聞いている人が、うまくなるっていうか、俳句向きだと思います。
 天野 主体性のない人がいいんですね。
 坪内 そうです。無責任で主体性がない人がいいんです、できるだけ(笑)。
 天野 自分ってものを、強調したがるような人は・・・・・・。
 坪内 それはもう、あきらかに短歌の人です。短歌は最後の七七で、自分の言いたいことが言えるんですよ。俳句には、その七七を言わない醍醐味というのがあります。  141〜142ページ

よく遊びよく遊べ 隠居大学

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