「ある文学事典の話 黒田憲治」3

 山田稔著『天野さんの傘』の一篇、「ある文学事典の話 黒田憲治」は、一九五四年九月に福音館書店発行の『西洋文学事典』の実際の編者が多田道太郎と黒田憲治の二人であった。
 当時は、桑原武夫監修とあるのみで黒田、多田両人の氏名は表に出ていなかったという。
 二〇一二年に筑摩書房から復刊された『西洋文学事典』(ちくま学芸文庫)に今回はじめて実際の編者の氏名が明記されたということのようです。

 《つまりこの仕事は福音館書店から桑原武夫に依頼され、さらに黒田憲治と多田道太郎に下請けされた。そしてその下請けの下請け、つまり孫請けの仕事を、むかし私は多田さんから分けてもらったのである。》  94ページ 

 《後年、私はこの頼り甲斐のある先輩と、もっと付合っていたらよかったと悔んだものである。しかし当時、多田道太郎の発想の奇抜さ、〈多田マジック〉に魅せられていた私は、黒田憲治の「常識」に物足りなさをおぼえ、多田さんの方ばかり向いていた。そのような私は、黒田さんの目にどのように映っていたのだろう。何かの集まりの後など、私にむかって、「多田の言うことはおもろすぎるわ。実際はあんなもんとちがうよ」と言った。その口調には〈多田のマネをしたらアカンよ〉と、暗に戒めるようなひびきがあった。》 113ページ

 また、一九五六年七月に黒田憲治訳のポール・アルブレ著『伝記 スタンダール』を山田さんは黒田さんからもらった。
 黒田憲治さんは《そのころよく一緒にいた多田道太郎とは体格だけでなく、さまざまな点で対照的だった。》そうです。
 
 
 以下、余談になります。
 一九五六年七月発行の『時代映画』七月号を、偶然にも手にとって見る機会がありました。
 昨年の「時代劇特集2014」で上映された松田定次(さだつぐ)監督の映画『旗本退屈男 謎の幽霊船』(1956年、東映京都、90分、カラー)の比佐芳武のシナリオが収録されています。

 『時代映画』七月号に「座談会 日本映画を語る会」というのがあります。

 座談会の出席者が桑原武夫森一生柳川真一、辻久一、松尾尊充、吉村敦子、山田稔加藤秀俊河野健二依田義賢多田道太郎、樋口謹一、黒田憲治、上山春平の各氏が参加しています。

 当時の座談会から多田道太郎と黒田憲治の二人の発言の箇所を一部引用してみます。


 多田 大分、オールドファンにはあるでしょうね。映画にしても演劇にしても若い者にはそう云う事はないですね。むしろ小説家の中に映画にひけめを感じてる人が沢山いるので、うんざりしますね。そうすると小説よりはシナリオを、シナリオよりは映画を見ると云うことになるのですが。
 黒田 貴方の場合それは特殊だけどね。
 上山 むしろ映画雑誌に書いてる古い批評家ね、そう云う人達に辻さんのいつたその傾向あるね。
 黒田 僕達、文芸雑誌は自分で金出して買わないです。日本映画は月に二、三本見ますけど。

西洋文学事典 (ちくま学芸文庫)

西洋文学事典 (ちくま学芸文庫)