佐藤忠男著『映画で日本を考える』からの覚え書き。
一九三一年の西倉喜代治監督の漫画映画「茶目子の一日」の感想がある。(忘れられた秀作「茶目子の一日」他、にて)
「蘇ったフィルムたち〜東京国立近代美術館フィルムセンター復元作品特集」で、昭和六年の西倉喜代治監督の「茶目子の一日」(1931年、7分、白黒)を鑑賞したことがあった。
作品での茶目子ちゃんの動き、そのコミカルな映像が面白かったので、佐藤忠男さんの感想に興味をもったのである。
感想の一部を引用。
中流家庭のお茶目な小学生の女の子の一日を描いたものであり、歌詞もユーモラスなものであろうが、映像は人間の顔をした太陽が雲にひょいと両手をかけて顔をのぞかせる冒頭からしてギャグでいっぱいで、そのハチャメチャな誇張と飛躍はマンガというよりは殆どシュールレアリスムである。 236ページ
また、
この時期、一般にはアニメーションといってもお伽噺のような分かりやすい単純なデフォルメが普通だったのに、この作品は突然変異のようにナンセンスが溢れている。たとえばとつぜん画面に映画の一場面として大河内傳次郎の丹下左膳が登場するが、左膳は動かないのにその手に握られていた刀が勝手に跳びはねて、彼を取り囲んでいる敵たちの首をチョン、チョン、チョンとはねてゆく。ぜんぜん教訓的ではないし教育的でもない。動きとリズムと飛躍の楽しさがこの作品の全てである。 237ページ
- 作者: 佐藤忠男
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