女優・大河百々代と大山デブ子のこと2

 八代毅監督の1938年の大都映画『争闘阿修羅街』(36分、白黒、無声)に出演している女優の大山デブ子に付いて参考になる箇所がありました。
 佐藤忠男著『喜劇映画論』に、映画における笑いの「意味」について論じる箇所です。

 人間がやることでいちばん大まじめなのは戦争と革命だし、他人から笑われることをいちばん嫌がるのはそれらの指導者たちではないか。どんな高邁なことでも笑いを許容する余地は残されていなければならないし、笑いは必ずしも対象に対する批判や非難ではない。笑いには許容どころか祝福の気分さえ含まれている。笑いはときには対象への批判を意味しているが、多くの場合にはむしろ対象とそれを見る自分を一体化して喜ぶ行為である。だから人々は祝福の場ではニコニコして声を出して笑うのである。しかし人はいつも笑ってはいられない。まじめになる必要もある。要は両方のバランスであり、双方を行き来できる余裕と自由である。  「喜劇女優たち」


 また、本書で佐藤忠男さんは、《では男の喜劇人と共演する女優乃至は女芸人はどういうタイプになるだろうか。》として、次のように述べています。

 

女の喜劇人の笑いの源泉は、まずは男まさりの行動力や実行力であると言えるだろう。それを共通項として見渡せば、直ちに何人かの喜劇女優の名が浮かび上がる。
 古くは大山デブ子。一九二〇年代、三〇年代の河合映画で肥満体を売りものにして、人気があった喜劇女優である。ヘナチョコの男たちをやっつける女として、画面に現れるだけで子どもたちは笑ったのである。ロクなギャグもなしで笑いをとったのだから、その笑いは祝福の笑いと言うしかない。  「喜劇女優たち」 127ページ。*1

 当時、スクリーンの画面で子どもたちから笑いをとった大山デブ子の笑いは祝福の笑いだった。

*1:注記、河合映画は一九二七年十二月、河合映画として発足。《一九三三年、河合映画は大都映画に改組し、あい変らずB級時代劇や愛国的なキワ物の戦争映画などを量産した。》(佐藤忠男著『日本映画史 第1巻』(岩波書店)、425ページより引用。)